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2010年11月12日 (金)

キューバ共産党大会について

118日、ラウル・カストロ国家評議会議長が共産党政治局の決定、として、ピッグズ湾事件50周年、という重要なタイミングの20114月下旬に、第六回党大会を招集する旨の発表を行った。新たな経済社会モデルの基本的な決定、を議題としている。

キューバは中央計画経済による社会主義国だ。憲法で「社会及び国家に超越した指導力を行使する組織」と規定される共産党が、5年ごとの党大会で五ヵ年計画を決める。党大会の前段階に大衆討論プロセスに入る。これを121日に開始し、20113月に終えることになった。その叩き台として、翌9日、32ページに及ぶ「経済社会政策路線の綱領(Proyecto de Lineamientos de la Política Económica y Social」が発行された。向う5カ年のキューバの経済基本政策を示すもので、明確なのは私企業認可基準が大幅に緩和される点だ。

キューバの経済活動の95%は政府の公的部門に担われている。その非効率が眼に余る、として、半年かけて50万人を解雇する旨が、ゆくゆくは100万人の労働力を公的部門から排除することを含めて、つい一か月前、発表された。この受け皿として、現在は10万人に満たない、とされる個人営業分野に着目し、認可対象拡大や経営資金支援策に踏み込んだ。社会主義体制からすれば、大きな政策転換だ。いわば国家の基本政策の変更に当たり、党大会にかける必要は確かにある。

キューバ共産党は1965年、メキシコを除くラテンアメリカでの孤立が完成した年に、「社会主義大衆党」(旧共産党)が、革命を実行した「726日運動」と合併する形で、新たに創設された。ドルティコス大統領は前者から出ていたが、党最高権力者たる第一書記に選任されたのは、後者を率いた当時39歳のフィデル・カストロ首相だった。以後今日まで彼のこの地位は変わらない。だが、この第一回党大会が開催されたのは、結党から10年も経った197512月のことである。

この党大会で社会主義憲法案が承認された。国民投票を経て公布されて初めて、党最高権力者が実質的な国家最高指導者になった。大統領制は廃止され、選挙を経た議員によって構成される人民権力全国会議の幹部会たる国家評議会の議長が国家元首に就く、現在の国家指導体制が、翌197612月に確立した。彼が議長に就任した。党第一書記と首相はそのまま、且つ、国軍最高司令官でもある。大変な権力だ。独裁権が強化されたこの時点までに、ラテンアメリカ17ヵ国(国交を維持してきたメキシコを除く)の内、ペルー、アルゼンチン、パナマ、ベネズエラ及びコロンビアの5ヵ国がキューバと復交する。

この党大会では、工業化推進を軸とした意欲的な第一次五ヵ年計画も決まった。我が国大手商社が相次いで初代ハバナ駐在員を出した翌年、高騰していた砂糖の国際価格が急落し、五ヵ年計画は挫折したのは不運だったといえよう。

198012月の第二回党大会では経済効率化を推進するため、として、農産物自由市場の開設を認めている。この年の4月に、12.5万人ものキューバ難民が米国に向かっていた。第三回大会は変則的だが198611月に開かれ、ラウル・カストロ国家評議会筆頭副議長(当時)が、第一書記として兄の後継に指名されている。その5年後の199110月に第四回大会が開催され、ここで外資導入、観光振興、150分野での自営業解禁が決まった。それまでキューバ経済を背後で支えてきたソ連東欧圏が崩壊して間も無くであり、ソ連が分解する直前のことだ。キューバが未曽有の経済危機に見舞われ、「カストロの最後の日」が米国で声高に語られるようになり、数万人規模の難民が再び米国を目指す時代に入った。そして6年後の199710月、第五回大会が開かれた。

この大会では砂糖生産年間700万トン(前年度450万トン)、ニッケル生産同10万トン、観光客同200万人(同年117万人)など、具体的な経済数値目標が提示された。翌98年にはヨハネ・パウロ二世の訪問と殆ど全てのラテンアメリカ諸国との国交回復、2000年にベネズエラと結んだ「協力基本協約Convenio Integral de Cooperación」、2001年に米国からの47年ぶりの食糧輸入再開、とプラス面の動きが続いた。にも拘わらず、それから5年目の2002年の段階で、前年に襲ったハリケーン「ミシェル」の影響もあったが、砂糖工場の半分以上が閉鎖され、生産は200万トン台にまで落ちた。ニッケル生産は伸びたが、7万トン台、観光客は急増したが180万人台、いずれも目標には届いていない。一方で、ラテンアメリカ諸国に親カストロ政権が続々と誕生し、孤立時代からは隔世の感がある。その中で、2006年にフィデル・カストロ第一書記が入院した。

今般の第六回党大会招集は、7月以来公の場によく登場するフィデル第一書記ではなく、ラウル議長が招集令をかけた格好だ。上記「経済社会政策路線の綱領」では言及がなされていないが、党大会では、第一書記、第二書記、政治局員、書記局員、中央委員と、党の重要ポストが決まる。この際、キューバの指導部の序列が決まる。現時点では、13年前の党大会で決められた通りであり、フィデル前議長は、従って序列第一位の第一書記のままだ。同書は、真っ先にフィデルに提出した、とラウル議長が述べているように、実権の完全移譲には至っていない。事実、最高の相談相手として立ててきてもいた。先ず注目すべきは、フィデル氏が第一書記から身を引き、1986年の第三回大会で決まったラウル氏への完全な実権移譲が実現するか否か、だろう。もっとも、国際メディアは、世代交代(兄弟間ではなく若手への実権移譲)の有無を見ているようだ。

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