キルチネルの時代
10月27日、アルゼンチンの前大統領で、フェルナンデス現大統領の夫のキルチネル氏が南部サンタクルス州のカラファテの別荘で心臓発作を起こし、現地の救急病院に搬送されたが、死去した。45日前に二度目の心臓手術を受けていた。彼の遺体は29日までの3日間、大統領宮殿の「ラテンアメリカ愛国者の間」に安置され、惜別者に開放され、閣僚、知事、国会議員、労組幹部らを含む、一時間あたり3千名という市民らが押し寄せたが、その中にサッカー界の英雄、マラドーナの姿もあった。南米諸国連合(Unasur)総長でもあったことから、南米諸国の大統領がペルーのガルシア大統領を除く8名が顔を揃え、フェルナンデス大統領ら遺族への弔問を行った。大統領選の決選投票を3日後に控えルセフ候補への応援に注力していたブラジルのルラ大統領も駆け付け、共に今日の南米、ラテンアメリカを築き上げた我が同志、と語った。キルチネルこそこの時代に必要とされた人だった、と語ったベネズエラのチャベス大統領は、南米首脳陣ではただ一人、29日にカラファテに移され埋葬されるまで遺体に同行した。
弔電は、ガルシア・ペルー大統領はもとより、メキシコ、中米・カリブ諸国首脳、OAS事務総長、スペインのサパテロ首相、米国のオバマ大統領、EU(欧州連合)常任議長(大統領)などからも寄せられた。アルゼンチンでは3日間の国民哀悼期間を設けた。ブラジルとベネズエラでも外国の前首脳の死去なのに、これにならった。
最近のキルチネル氏のUnasur総長としての活躍では、8月のベネズエラ・コロンビア関係修復の仲介、9月30日のエクアドル・クーデター事件に際してのUnasur緊急首脳の招集が記憶に新しい。後者の場合は、二度目の心臓手術を受けて間もない時だった。弔問に駆け付けたコレア・エクアドル大統領は、我々がここに集まったのは、結束したラテンアメリカという偉大な祖国を建設することへの誓い、と述べている。総長に就任して僅か半年である。巷では早速、誰が総長を引き継ぐのかに関心が寄せられる。口さが無い人たちは、チャベスを抑えられることが最大の資格要件であり、バチェレ・チリ前大統領か、3ヵ月後に退任するルラ・ブラジル大統領の名前を出し始めている。
ルラ氏は、2003年1月に57歳で、キルチネル氏は同年5月に53歳で大統領に就任した。前者は労働運動の旗手で、後者はペロン党の左派に属し、米国型の新自由主義経済に抵抗し、貧困撲滅と国民所得格差の圧縮を政見とした。いずれも左傾化を恐れる既存の政治勢力から激しい攻撃に晒されての当選だった。だがいずれも強いリーダーシップにより国家経済を立て直し、失業率とインフレ率を低下させ、国民所得の再配分を進めた。両者ともワシントンコンセンサスが自国には不適、との理由で、IMFへの期前返済を断行し、経済政策に対するIMF介入を阻んだ。また米国主導で進められたFTAA(米州自由貿易圏構想)に異を唱え、域内経済圏確立構想に取り組んだ。「南米諸国連合」は、この流れで見たい。
ルラ・キルチネル両氏とも、第一期目の終わりの国民支持率は、50、60%で、前者は連続再選された。後者は、政権末期のスキャンダルなどで大統領選出馬を辞退したが、妻のフェルナンデス氏を担ぎ出し、彼女の政権は彼の政治路線を忠実に引き継いだ。つまり、ブラジルのルラ時代同様、アルゼンチンのキルチネル時代は続いた。この実績が、行動力とリーダーシップに富んだUnasur総長就任と、南米重要問題での仲介の成功に繋がった。上記のベネズエラ・コロンビア関係修復は、実はルラ大統領とキルチネル総長がペアで当たった。
キルチネル時代は、ところが、国内では逆風に晒される。キルチネル夫妻が属するペロン党は、一枚岩ではない。イデオロギーでは右派から左派まで非常に広い。新自由主義経済を信奉するメネム元大統領(第一期1989年7月-95年12月、第二期95年12月-99年12月)の勢力は、少数とはいえ、明らかに反キルチネル勢力である。なるほどキルチネル夫妻の政権は、景気回復を実現し、政情安定、社会計画、軍政時代の名残たる人権問題に取り組んだ。IMFへの期前返済は国民の喝采を得た。だが政治スタイルが独裁的、というマイナスイメージを呼んだ。党の分裂は、彼の存在が大きな理由、との見方も根強い。また、特にマスコミ界の批判は大変に厳しい。司法も同様だ。また重要輸出産業の一角を占める農畜産業界とは、度々摩擦を引き起こした。最近では同性婚の合法化でカトリック教会が攻撃を強めた。1950年代始め、離婚を合法化したペロンを破門したことがあったが、因果が回って来た感じだ。彼の死は、アルゼンチンの株式市場上昇をもたらした。ビジネス界は国内外で、彼をブレーキと見做して来たことの裏返しだろう。
彼の死は政権与党のペロン党の纏め役を失ったことに繋がり、いまですら35%の低支持率に苦しむフェルナンデス大統領の求心力の衰えを来たす。労働組合の全国組織で、ペロン時代の1940年代に結成された労働総同盟(CGT)は、彼女への変わらぬ支持をいち早く表明した。夫を失ったばかりで大衆レベルでは彼女のイメージは好転しつつある。だが党内権力構造の変化は不可避であり、彼女には党を纏める力は弱い、と言われ、政権運営、ひいては2011年10月の大統領選での連続再選には、苦労することになろう。
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