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2010年10月13日 (水)

エクアドルの「クーデター未遂事件」について

チリ時間の1013日、コピアポ鉱山で、85日以来地下700メートルに閉じ込められた作業員救出が始まり、その映像をテレビで見ながらこれを書いている。普通の感覚では、彼らの救助は覚束ない。チリではあらゆる英知を総動員して、先進国でも前例が無い救出作業を敢行している。この傍ら、ピニェラ大統領が演説していた。これを見ながら、11日、この人はキトにいたことを思い出した。930日に起きた「クーデター未遂事件」後、初めてコレア大統領を訪れた外国首脳だった。また彼は、「クーデター」を起こしたけ国家警察が取り囲む病院に「軟禁」されていた同大統領にいち早く電話を掛け、反政府行動を非難しコレア政府を支持する旨の声明を、直接伝えている。

「クーデター未遂事件」の真相は、どうも分かり難い。929日に議会で可決された公務員法で待遇が悪化する、と考えた国家警察の職員が翌30日早朝からストに入った。地方都市でも治安を預かる警官のストの為に略奪や強盗事件が相次いだ。キト及びグァヤキルでは道路や空港封鎖の挙に出た。キトでは議会占拠までやらかした。彼らを説得しようと国家警察隊本部に現れたコレア大統領に対して、石礫や催涙ガスを浴びせ、同本部内の病院に追いやり、軟禁状態に置いた。彼はこれを「クーデターの試み」と断定し、国内外にメッセージを送った。彼の支持者らは病院前や大統領府前に集まり、「(セラヤ大統領を拉致し国外に追いやった)ホンジュラスになるのはご免だ、大統領はあくまでコレア」とのシュプレヒコールで気勢を挙げた。衝突で大学生が一人死亡している。

直ぐに反応したのは南米諸国連合(Unasur)で、彼が「軟禁」状態にあった自国に、本人と、総選挙で多忙を極めていたブラジルのルラ、癌治療中のパラグアイのルゴ両大統領を除く南米の大統領全員がブエノスアイレスに集合した。Unasur緊急サミットだ。そしてこれをクーデターと断定、民主主義に反する行動、として国家警察隊の行動を非難し、コレア大統領への支持を表明した。Unasurの腰の軽さに目を瞠る思いだ。米州機構(OAS)も、メキシコ、中米諸国の殆どが、同様の見解を発出した。ラテンアメリカの統合体としての纏まりの良さが際立つ。

事件自体は同日夜に行われた数百人規模の国軍及び警察特殊部隊との合同作戦によって、コレア大統領が救出され、終わった。この作戦は20分続き、その間死者8名を含む数百人もの死傷者を出した。その後、彼は大統領府前で演説し、クーデターの背後にグティエレス元大統領がいる、と名指しで非難した。チャベス(ベネズエラ)及びモラレス(ボリビア)両大統領は、自らの経験に基づく見解として、ワシントンが仕組んだクーデター、とも述べているが、クリントン国務長官は既にコレア大統領に対する全面的支援」を打ち出していたし、エクアドル政府自身はオバマ政権の同事件への関与は考えていない。

グティエレス元大統領は、2008年の大統領選挙でコレア氏に敗れた人だ。陸軍将校時代の20001月にマウワ政権追放のクーデターを惹き起こし、逮捕され、短期間で恩赦により釈放され、45歳で200210月の大統領選に出馬し、翌11月の決選投票で当選し、在任2年と3ヵ月で、最高裁判事の交代を命じる司法への政治介入を行ったことが違憲、として、国民の反対運動を招き、20054月に議会の弾劾で退陣した。パラシオス副大統領が憲法に基づき昇格し、その政権時代にコレア氏が経済財政相を務めた。グティエレス氏はその後半年間の亡命、帰国後半年間の収監を経て、政界復帰を図り、200610月の大統領選では弟を出馬させ、そして2008年選挙では自ら出馬して、いずれもコレア氏に敗れている。いわば正真正銘の政敵、と言えようか。

グティエレス氏は930日の国家警察軍の動きには全く関係が無い、と言明している。一方で「クーデター」という言葉で、自らをヒーローに仕立て上げ、家族の不正が暴露され地に落ちた国民支持を盛り上げようとの魂胆が透けて見える、と厳しく批判する。この事件の真相は何か、2週間も経った現在も、どうもよく分からない。国家警察隊長官は、深い謝罪の念を表明している。数十名が拘束されており、捜査結果を待ちたい。

ピニェラ大統領に続く訪問客はボリビアのモラレス大統領で、12日に来た。13日、やはりチリのコピアポ鉱山に向かった。作業員の中にボリビア人が一名おり、優先的に救出された。彼を引き取り一緒に帰国させ、ボリビアでの職と住居も斡旋する、とする。

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