ブラジル2010年総選挙
10月3日に行われたブラジル総選挙は、大統領、上院議員81名中54名、下院議員全513名、及び27名の知事選出が対象となる。任期は上院議員(8年)を除き全て4年で、大統領と知事には連続再選(二期8年まで)の規制が設けられている。大統領が誰になるかに大きな関心が集まるのは当然で、ブラジル初の女性大統領になるか、と騒がれてきた与党の労働者党(PT)のルセフ前大統領府長官の得票率が47%に留まり、次なる関心は10月31日に行われる決選投票に移った。対立候補、野党の社会民主党(PSDM)のセラ前サンパウロ州知事の得票率は33%で、もう一つの大きな話題となった緑の党のマリナ・シルヴァ氏に集まった19%もの票の性格をどう見るかで、決選投票を占う必要がある。
シルヴァ氏の緑の党は、現在13議席を下院に持つだけの小党に過ぎない。2002年選挙ではルラ候補を支援したが、彼の環境政策に失望し、2006年選挙では支援を見合わせた。「緑の党」という党名で直ぐ想起するのは、ドイツを始めとするヨーロッパの政治勢力だが、ラ米にも幾つかある。最近では、モックス元ボゴタ市長を大統領選に送りだしたコロンビアの例がある。議会勢力面ではブラジルとあまり変わらない。それがモックス氏を第一次選挙で21.5%の得票、決選投票進出に押し上げた。選挙前の世論調査では支持率が5割前後だったこともある。
シルヴァ氏自身はPTに入党し上院議員を経て、ルラ第一次政権で環境相を務めた。昨年8月に離党し緑の党に移ったばかりで、ルセフ氏よりも党員歴は長いし、政界活動実績も有る。コロンビアのモックス氏の如き首長経験は無く、知名度も低い。選挙前の支持率は8月まで概ね一ケタ台、直近で12、13%まで伸ばしていたに過ぎなかった。選挙期間中、ルセフ前長官が側近のスキャンダルでマスコミの厳しい攻撃に晒された。またセラ前市長もルラ政治の継承を唱えるようになり政策面での差別化が薄れたところで、対立候補への個人攻撃を繰り返した。有権者の中でいずれの候補にも失望した人が、結果的にシルヴァ氏に投票したのではなかろうか。ともあれ、第一次選挙ではモックス氏並みの得票へと急伸しても、決選投票には進めない。それだけに彼女が得た19%の行方が重要な意味合いを持つことになる。
シルヴァ氏には、早速ルセフ、セラ両候補から電話が行った。彼女は緑の党が進める環境保全策に賛同するか否かで、決選投票の際の支持を決める、と言う。緑の党自体はルラ氏に対し、2002年選挙では支持、2006年選挙では不支持に回った(いずれも決選投票)。もともとの政治思想面では中道であり、寧ろPSDBの方が近い。PTでの政治活動が長かったシルヴァ氏とは、あくまで環境保全という個別政策面で繋がっているようだ。繰り返すが、緑の党は小党に過ぎない。シルヴァ氏に投票した19%の圧倒的多数が、緑の党とは全く離れて決選投票に臨む筈だ。議会勢力については、幾つかの外電の英語版、スペイン語版を探したが、投票日から3日経ってなお、どこも正確な情報を採り上げていない。選挙管理委員会のホームページを見てもよく分からない。だが、ルセフ氏支持の政党だけで過半数を獲得したのは間違いなさそうだ。
ルラ大統領の国民支持率は今なお、80%を上回っている。これに近いのはチリのバチェレ、ウルグアイのタバレ・バスケス、及びコロンビアのウリベ前大統領たちの政権末期支持率だろう。左派傾向が強い彼が進めて来た貧困対策によって困窮を脱した国民は、数百万人に上る。しかし重要なのは、先進国が経済苦境に陥っている中で、ブラジルの全体経済も成長を続けている、と言う事実だ。国際会議での彼の存在感は圧倒的で、サッカーのワールドカップ、及びオリンピックの開催地を獲得した。シルヴァ氏に投票した19%の大半も、恐らくルラ支持の80%強に入るだろう。その彼が、自らの後継者はルセフである、と公言し、選挙運動の街頭応援までやってのけた。ルセフ氏優位は動くまい。
ルセフ氏をゲリラ出身、とするメディア報道もある。キューバのラウル・カストロ、ニカラグアのオルテガ、ウルグアイのムヒカ各大統領に続くゲリラ出身の大統領が、2億近い人口と850万平方キロの領土を持つ大国に生まれる、というのも、確かにニュースバリューがあろう。
彼女が学生時代の1960年代末、世界中で学生による反体制運動が活発だった。キューバ革命の余韻を残すラテンアメリカには左翼ゲリラが多く生まれ、ブラジルも例外ではなかった。日米欧のような火器を携行しない反体制運動ではなく、武装する反体制組織の中に身を置く活動だが、それでも体制に対して怒れる若者たちの行動、という意味では共通している。彼女もその一人だった、と考えると、異様な感じはしない。武器は携行していたにせよ、実際の活動は組織の集会への参加、会計、現金輸送など、組織運営業務の方で、ゲリラ戦士、のイメージには違和感がある。1970年1月、つまり22歳になって間もない頃、警察に逮捕され3年間近く収監された。だから、ゲリラ活動を行っていた、と言うなら、それもその時点で終わった。
釈放後も反軍政の姿勢は貫いた。軍政下でも存在した公認野党に関わり、1981年の政党合法化以降は民主労働党(PDT)に参加し、2000年にPTに移った。ただ議員や首長と言った政治家経験はしていない。その意味でも珍しい大統領候補と言える。
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