サントス・チャベス会談
8月10日、コロンビアのカリブ海に臨むサンタマルタで、コロンビア・ベネズエラ首脳会談が実現した。7月22日からの外交関係の断絶は、短期間で復活するようだ。ここは1830年、ベネズエラが当時のグランコロンビアから離脱し、ボリーバルが失意の内に死去した町だ。ただ、サントス・チャベス両大統領がこの町を選んだことは、寧ろ両国が本来一つの国家であり、主権国家同士になっても一体感を損なってはならない、という気持ちの表れだろうと推察する。とりわけチャベス大統領は憲法まで改定して国名にボリーバルの名前を冠したほどに、この南米の解放者を崇拝する。「米国を背後に抱えたコロンビアのベネズエラに対する軍事行動」が近い、と主張し、重大外交日程たるキューバ革命記念式典出席さえ控えるほどに外遊に慎重だったチャベス氏には、久し振りの外国訪問ともなった。
サントス大統領はその3日前の7日に就任したばかりだ。その式典には、チャベス大統領の盟友たるボリビアのモラレス他数名を除く南米主要国の首脳は殆どが参列した。もう一人の盟友、エクアドルのコレア大統領は出席した。サントス氏はコレア氏に対し、2008年3月の在エクアドルFARC拠点の越境襲撃(断交の原因)の際に回収した幹部のパソコンのハードディスクを手渡した。既に相互代表部設置により事実上の復交は実現しているが、大使級復交はもう秒読み段階にある、と言って良い。エクアドルの司法当局は、コロンビア軍の越境襲撃による25名の殺害の責任は、当時の国防相に波及される、との理由でサントス氏への逮捕状を発令していたが、今、外国の国家元首への逮捕権行使は自ずと回避されるべき、との理由で、彼の大統領任期中の不逮捕を確認した。
サントス政権は、「国民社会連合党」(la“U”)政権の、或いは(ウリベ前大統領の正統な承継者、という意味からすれば)、ウリベ路線の第三期目とも言える。その就任式にはチャベス大統領自身は欠席でも、マドゥーロ外相を代理出席させた。その就任式直前に、実はアルゼンチンのサンフアンでメルコスル・サミットが開催されたが、準加盟国のボリビアとチリの首脳が出席しているのに、外遊見合わせ中だったチャベス大統領は欠席だった。ブラジルのルラ大統領が南米諸国連合(Unasur)のキルチネル事務総長と共に、ボゴタへの徒爾、カラカスに立ち寄り、彼と直接会談した。上記サンタマルタ会談は、ルラ大統領の説得と、サントス新大統領自身が対隣国関係改善に意欲を示したことで実現したものだろう。キルチネル氏はサンタマルタ会談にも同席している。
サンタマルタ会談の前哨戦は、7月29日、キトで開催されたUnasur緊急外相会議だろう。その場でマドゥーロ外相から和平プロセスの提示はあった。コロンビア側は、ゲリラは国内問題であり、余計なお世話、との態度だったようだが、この頃よりELNは和平交渉を提案し出していたし、FARCも交渉の場を設けてほしい、と言い始めた。サントス大統領はゲリラとの交渉の前提として、武装解除、誘拐や麻薬取引の停止を挙げている。何かしらの動きを感じさせていた。
問題は残る。ベネズエラが激しく反発するコロンビアによる米軍への7基地供与は、破棄できるものではない。米政府もウリベ路線を前提に、サントス政権下でもコロンビアとの良好な関係の継続を強く求めている。一方チャベス大統領は、まさにサンタマルタ会議出席を表明した8日、米国のパルマー新任大使受け入れを拒絶した。コロンビアがOASに対してベネズエラにおけるゲリラ基地の証拠を提示した頃、パルマー氏が米共和党上院議員からの質問に対し、ベネズエラ軍兵士の士気の低さ、及びチャベス政権の重要なメンバーとFARCとの明白な繋がりの存在について、書面で確認したことが背景にある。米政府は、パルマー人事はベネズエラとの関係向上に最適であり、且つ既にベネズエラと合意済みだったことを理由に、再人選はしない、と言う。この決着が残っている。
コロンビアが言い張るベネズエラ国内の1,500人ものFARC及びELNゲリラの拠点の存在は、幾らベネズエラが否定しようと、主張を引っ込めることは考えられない。これに対しチャベス氏は、主権国家ベネズエラの国内でコロンビアのゲリラが活動することは認められないし認めて来なかった、彼らは拉致した人質を無条件に解放し、和平プロセスに入るべき、武力に頼るゲリラには将来は無い、また米国が南米への干渉を正当づける材料になるだけだ、と言明した。