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2010年7月19日 (月)

フィデルの再登場?

「黒い春」事件で逮捕され、未だ収監されていた52名の内、712から13日にかけて11名が釈放されスペインに向かった。さらに9名が20日に同じくスペインに出国する予定だ。家族を含め135名がスペインに揃う、と言われる。彼らの今後はどうなるのか、残る32名の扱いを含め、気になるところだ。一方で、突然フィデル・カストロ前国家評議会議長がキューバの国営テレビに登場し、人権問題を追っていた外国メディアを驚かせた。

後世のラテンアメリカ史で巨人的扱いを受けるだろうこの革命家は、米国では「独裁者」の一言で片づけられる。いわく、革命後何千人もの旧国軍兵士を処刑した(一般的には数百人、とされる)。いわく、国民から財産と自由を剥奪した(67㌶未満の農地や個人家屋の所有権、基本的政治問題を除く表現の自由は認められる)。いわく、非効率な社会主義経済で国民に貧困をもたらした。いわく、国内に留まらず左翼革命の輸出でラテンアメリカに軍政時代をもたらし、民主主義を破壊した。いわく、米国は大量の難民受け入れを余儀なくされた。彼に対する悪口は、枚挙にいとまが無い。

2006年央、彼は体調を崩して政権運営を弟のラウル氏に委ね、正式にも20082月以降、役職はキューバ共産党第一書記のみに留まる。昨年発足した米国のオバマ政権は、ブッシュ前政権時代に厳しく制限されていた在米キューバ人の家族への送金とキューバ渡航規制を撤廃した。キューバのOAS(米州機構)復帰に反対しなかった(これが実現していないのは、キューバ側の意向による)。キューバ国民の米国移住問題に関わる二国間協議も再開した。明らかに宥和的な動きが見て取れる。今回の政治犯対応についても、率直に歓迎の意を表明した。そのタイミングで彼が再登場した。

トレードマークだったオリボ・ベルデ(薄緑色の革命軍の制服)ではなく普通のシャツ姿で、しかも家族と一緒に研究所や水族館を訪れた。彼の家族のことは、これまで殆ど語られなかった、と私は理解している。明らかに大きな変化だ。13日には国営テレビのインタビューに応える形で登場し、その一部は私も彼の映像と音声に接した。イランへの国際社会の制裁について述べていた。存在感は、圧倒的だと感じた。外国メディアが伝えるところでは、政治犯の釈放問題には一切触れなかった、という。15日に開催された在外大使会議にも出席、やはり国営テレビで放送されている。国際情勢、とりわけ核戦争の脅威について持論を展開しており、少なくとも弟の専権事項たる内政、外交、国防問題に口を挟んではいないようだ。だがタイミングが、一見、大変絶妙で、彼が政権を担っていた20033月の「黒い春」事件で拘束した政治犯がスペインに飛び立つ前後のことだ。米国政府は今のところ正式コメントを発していないが、彼の今後の言動に神経を尖らせることになるだろう。それでも、革命成立時33歳だった彼も間も無く84歳になる。今なお頭脳明晰のようでも、国家指導者としての再登場、とは考えにくい。

彼は、バティスタ独裁を倒すために革命運動を起こした。そのこと自体は、米国世論の支援すら受けた。その世論がキューバに跳ね返り、国民の革命軍に対する親近感を増幅させ、一方で米国政府はバティスタ政権への武器の禁輸を行い、これらが相まって1959年正月の革命成立に繋がった。彼は1910-17年のメキシコ革命、1951年のボリビア革命同様、農地改革を断行した。既得権益の再分配、と言う意味で、平等社会の構築を図った。これが米国との軋轢を惹き起こし、報復の応酬で、最終的に米国資本が接収され(有償ではあるが企業側がこれに応じず)、米国が断交し、彼に対して、米国では忌み嫌われる「コミュニスト」のレッテルを貼り、亡命キューバ人によるピッグズ湾事件を後援し、この失敗(彼にとっては成功)によって彼が社会主義革命を宣言し、東西冷戦の真っ只中にあって、キューバをソ連圏に追い込んでしまった。彼のこの成功は、当時、ラテンアメリカでは支配階級の一部を除き、喝采を浴びた。

米国中央情報局が出しているWorld Fact Bookによると、スペイン・ポルトガル系19ヵ国の中で、人口、国内総生産いずれも2%に満たない。輸出力は0.4%にすら届かない。だが、彼が公式の場に現れなくなって4年間の内に、ラテンアメリカ諸国から彼を師と仰ぐベネズエラのチャベス大統領のみならず、ブラジルのルラ、アルゼンチンのフェルナンデス各大統領など、何らかの国際会議を主催していなくとも何人もの国家指導者がこの小国を訪れ、彼と面会している。彼に対する敬意や敬愛を抜きにして考えられまい。

国力をみるついでながら、2008年のキューバの輸出は28.8億ペソ、輸入は89.1億ペソという。凄まじいばかりの貿易赤字だ。上記World Fact Book では2009年見通しとして、夫々24.6億㌦(ラテンアメリカ19ヵ国中、ニカラグアの23.8億㌦に次ぐ低さ)、89.6億㌦(同、下から7番目)、経常収支を、驚くことにプラス5.1億㌦、としている。つまり貿易外収支及び移転収支が70億㌦の黒字だったことになる。外貨準備も前年末より6億㌦増え、46.5億㌦となっている。在外キューバ人による送金と里帰りの際の現金贈与、2009年で242万人に上る外国人観光客がもたらす旅行代金、対ベネズエラを主とした派遣医療チーム報酬、くらいで、ファイナンスできている、ということだろうか。

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