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2010年6月19日 (土)

キューバの人権問題(2)

ラテンアメリカでは1970年代、軍政下のアルゼンチンやチリなど、或いは軍人政権下のグァテマラ、ニカラグアなどで、反体制派弾圧で多くの犠牲者を出し、国際社会から糾弾されていた。だが、今日では反体制派やその支持者に対する強制連行や拷問による行方不明や殺害ではなく、反体制行動を逮捕や拘束で封じる、反民主的行為を言うようだ。どの強権国家にも反体制派は存在する。つまり、強権国家体制そのものが必然的に人権侵害を招いてしまう。政治的な言論、結社、報道の自由は、国民の基本的な人権、とする欧米の民主主義理念からは程遠い。共産主義独裁は人権侵害の格好の標的となる。生活苦から祖国脱出を図る国民が目立てば、なおさらだ。

米国ではカストロ前議長を共産主義者で独裁者、と断定する。国民は独裁者の弾圧で自由を奪われ、また貧困に喘いでいる。独裁者を放逐し、代表制民主主義体制に移行させねばならない、と信じているようだ。旧ソ連でも東欧でも中国でも、共産主義独裁体制を敷く国々には、必ず、民主化を希求するグループが存在した。一党独裁国家では民主化運動は国家反逆になる。だから当然、弾圧される。その内にソ連・東欧では民主化運動が、共産党一党独裁体制からの脱却、ソ連の崩壊に繋がった。反共思想が浸透し切った米国にとって、目と鼻の先に位置する、吹けば飛ぶような小国が、東西冷戦の敵対国、ソ連の傘下に入り、東欧民主化後もソ連自体の崩壊後も共産主義独裁体制を貫く姿は、苦々しかろう。ジュネーヴの国連人権委員会が、米国の提案で、キューバの人権侵害に対する非難決議を出すようになるのは、丁度、東欧民主化の時期、1980年代の終わりの頃だ。

ソ連東欧が存在した時代はどうだったか。19611月、米国はキューバと国交を断絶した。645月には、人道物資(食糧、医薬品)輸出を含む全面禁輸に踏み切った。米州機構(OAS)諸国も追随し、キューバをソ連圏に押しやってしまった。70年代前半の東西緊張緩和の流れに沿った形で、OAS加盟諸国が順次国交を回復する中で、米国もキューバとの対話を再開し、カーター政権下(在任1977-81)の779月には利益代表部の相互設置に、そして、791月に在米キューバ人の里帰りを許可するようになる。これはキューバ国民に、米国の豊かさとキューバの貧しさの事実を実感させることになり、80年、カストロ政権も出国を自由化したことで、一気に12.5万人もが米国に向かった。革命に裏切られての出国と言える。それまでは、革命直後は革命への恐怖による、60年代後半から70年代始めにかけての革命に愛想を尽かして、の出国だった。

1959年のキューバ革命直後、企業幹部、医師、教職者、技術者などが大挙して出国した。「頭脳の流出」と呼ばれる。15万人ほどにはなっているようだ。革命は独裁者バティスタからの国民解放を目的の一つとしたが、バティスタ派の軍人が人民裁判の名のもとに数百人も処刑された、と言われ、恐怖に駆られた国民も多かったのは確かだろう。亡命キューバ人社会が、革命政府は思想教育のため、5歳になる子供たちを拉致、18歳になるまで拘束する、という同胞向けラジオ放送を繰り返し、この結果、子弟の脱出を図った親も多かった。マイアミのカトリック社会も支援に乗り出し、ビザの便宜を図るために米国務省及び法務省も協力し、60年から2年間で計1.4万人の子供たちを受け入れた。有名な「ピーターパン作戦」だ。

キューバが私企業を禁止したのは1968年のことだが、米国とキューバの協定で、その頃には移住希望者の空輸が合法的に行われていた。1965年から74年まで移住者は25万人にも上ったようだ。革命は米州内孤立を呼び、工業化政策は失敗し、砂糖モノポリーに陥り、不満を募らせる国民は増える。そんな時代だ。

1980年までに米国に渡ったキューバ人の数には、私は不案内ではある。上記に掲げた人数を単純積算し、プラスαで概ね60万人だろうか。90年代始め、ソ連崩壊後のキューバの経済危機で、生活苦から出国者が増加した。従来とは異なるパターンだ。彼らと、渡米後生まれた子弟を加えると百数十万人、と言ったところだろう。多くが在米キューバ人として米国に受け入れられ、今や多くの著名人を輩出している。一般的に在米ヒスパニックの中で白人比率が高く高学歴が多く、政治力もある。祖国の共産主義体制崩壊を希求する彼らが、人権弾圧糾弾を繰り返す米国の対キューバ政策を後押しするのは、当然だ。彼ら自身が、積極的な反体制運動を続ける。

1990年始め、一方で、キューバ国内でも反体制運動が起き始める。「バレラ・プロジェクト」や「白衣の女性たち」のみならず、20033月の黒い春で逮捕され保釈中のマルタ・ロケ氏による反体制派を纏める運動「市民社会推進会議」、その前に逮捕され服役中のオスカル・ビシェット氏の「ロートン基金」、或いは共産主義批判で17年間も収監された「キューバのネルソン・マンデラ」といわれる黒人のホルヘ・ガルシア氏、パヤ氏同様拘束を免れているエリサルド・サンチェス氏の「人権と国民和解のキューバ委員会(CCDHRN)」と、同じくブログで自由社会を訴え続け当局からの監視下に置かれたヨアニ・サンチェス氏、その他多くの民主化活動家が、米国、EU、国際人権団体、外国メディアに登場するようになった。ここまでくれば、キューバの人権侵害を叩くのは米国に留まらなくなる。

在米キューバ人と国内のキューバ人の間の連携はどうだろうか。前者は、色々と考え方は異なり時代と共に変わりつつあるが、それでも未だ米国による経済制裁維持、強化を叫ぶ人は多い、といわれる。だが、国内の反体制派は押し並べて経済制裁反対し国交の回復を訴える。キューバ当局は、米国の利益代表部などが反体制派の資金源、とみており、あまり在米キューバ人社会のことに触れない。

≪続く≫

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