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2010年4月 3日 (土)

マルビナス領有権問題-アルゼンチン

42日、アルゼンチン南端の町、ウシュアイアで「マルビナス戦争の退役軍人と戦没者の28周年」式典が行われ、フェルナンデス大統領がマルビナス領有権回復を武力ではなく平和裏に実現する旨を強調した。同時に、イギリスが1965年の国連総会で決議された当事者間協議を実行せず、母国から1万4千㎞も離れた場所の主権を主張し続けるのは植民地支配に他ならない、と強調した。

1982年のマルビナス(フォークランド)戦争は、悪名高いアルゼンチン軍政によって惹き起こされた。悪名は、軍政には国内ペロン派(ペロニスタ)のモントネロスと呼ばれる勢力やその影響下にある労働組合活動家、及び左翼ゲリラとその支援者(その疑いがある人を含め)に対する弾圧で3万人とも言われる犠牲者を出したいわゆる「汚い戦争」による。巨額対外債務と経済苦境、及び国民生活を疲弊させた三桁インフレも、この軍政下のことだ。ガルティエリ軍政大統領の意図は、国民の不満をそらすために戦争に踏み切った、という人も多い。勝算はあった。

ウシュアイアから東へ400㎞。総人口が現在なお3千人にも満たないフォークランド。東西フォークランド両島プラス776小島群から成り、総面積は12千平方キロ、主要産業といえば羊毛、漁業、観光だ。1982当時の人口はこれよりも少なく、防衛隊員は英国海兵隊員を含めても、百人に満たない。事実、28年前にこの地に進発したアルゼンチン軍は、戦わずして征服した。国民は領土回復の歓びで熱狂した。更に、こんな遠隔地までイギリス軍がやってくることは考え難く、また米国が、自ら主導した1947年のリオ条約(第三国による加盟国攻撃は米州全体への攻撃、と規定)に縛られ、イギリスに睨みを利かせる、従って、対英戦争には踏み込まずに済ませる、との読みがあった。

サッチャー政権下のイギリスは、しかし5月にフォークランド奪回作戦に踏み切った。チリ以外のラテンアメリカ諸国はアルゼンチンを支持し、ペルーに至っては戦闘機を提供した。キューバまでもアルゼンチンを支持した。だが、参戦国は無い。米国が、これはアルゼンチン領土への攻撃ではない、との理由でイギリス支持に回ったことは最大の誤算だった。戦争は短期間で終了する。

フェルナンデス大統領は、この愚を繰り返さないことを述べたものだ。マルビナス領有権問題を再燃させたのはイギリスのデザイア石油による開発計画だ。222日の第二回ラテンアメリカ・カリブ首脳会議でも取り上げられた。アルゼンチンだけでなく米州の領域内にある天然資源の略奪、とまで言う人もいる。だが、ラテンアメリカ諸国はアルゼンチンの領有権を支持しながらも、言うだけで具体的な手は何も打てない。米国のクリントン国務長官も3月始めのアルゼンチン訪問の際、両国間協議が実現できるよう、イギリスに打診してみる、とは言ってくれたが、実は何もできないでいる。国連を含む国際機関には、もう一方の当事国、イギリスとの仲介の労をとる気配は無い。

第二次世界大戦後の194510月に国連が発足した。植民地支配の終焉と独立・自決(Decolonization)が叫ばれた時代だ。ペロンが大統領になり、この地の領有権を国連の場で訴えた。領有権主張は、彼が55年に追放されても続いた。1965年の国連決議だが、これにはフォークランド諸島住民の利益の重視、との前提があった。その島民には、なべてイギリス残留を望む声が強い。一向に埒があかない。彼の復帰が影響したかも知れぬが、1975年、ついに両国外交関係は断絶した。その流れの中に、マルビナス戦争がある。そして敗戦にも拘わらず、アルゼンチンの領有権主張は変わらない。一方で、イギリスが領有権問題の土俵に上らないのは、植民地主義的野心ではなく、優先させるべき島民の意向がある、との建前からだろう。

18331月、英国軍艦が土足で上がり込み、アルゼンチン国旗を引き下ろし、英国旗を掲揚して居座ったまま、と言うのは史実だ。だが1841年のイギリスによる入植開始後住み着いてきた島民が営々と築き上げてきた生活もある。何だか、日本の北方領土問題を見ているようだ。違うのは元の島民が追い払われた点だろう。マルビナス入植事業が開始されたのは1820年代のことで、アザラシ猟にいそしむガウチョが定住するようになるのは、1828年だ。イギリス軍艦来航時、島民はわずかだった。ガウチョの一部が反乱を起こし逮捕され、その後アルゼンチンに送還されたが、殆どは島に残った。

その後の入植者は当然ながら殆どがイギリス人である。現在の3千人、という人口に到達するのに170年かかった。島民には歴史がある。アルゼンチンはこれに何ら関わってこなかった。20世紀前半まで、イギリスはアルゼンチンにとって飛び抜けて重要な貿易相手国であり、投資引受国だった。マルビナス回復を理由に軍事作戦を展開して対英関係を悪化させるなど、有りえなかった。だから関わりようがなかった。だから島民は、イギリス残留は当然のこととしてきた。これでは先に進みようがなかろう。

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