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2010年3月21日 (日)

コロンビア議会選挙

314日にコロンビアで議会選挙が行われた。ところが一週間経った今も最終結果が出ていない。わざわざ民間に委託した開票管理システムが上手く作動しなかった、と言い、委託先を変えて開票作業をやり直した。選挙管理委員会の失態である。

今回の議会選は、60%を超すウリベ支持率が与党にどのように反映されるか、という意味で私個人は注目していた。昨年12月のチリ選挙では80%を超えるバチェレ前大統領の高支持率にも拘わらず、野党が勝った。コロンビアの場合は、与党系議員の数十人が一般市民虐殺などで非難される「コロンビア自警連合(AUC)」との関係で騒がれる、いわゆるパラポリティック・スキャンダルという逆風の中にいた。2008422日までに逮捕された議員は、33人にも上る。上下両院合わせて264名を分母と見れば分かるが、大変な人数だ。この中にはウリベ大統領の従兄弟に当たる下院議長や、アラウホ外相の兄が含まれる。さらに大統領の「国民社会統合党(la U)、以下統合党」総裁もAUCとの不適切な関わりが捜査され、総裁辞任に追い込まれた。

選挙結果は出ていないが、それでも統合党は単独でも上下両院で4分の1議席を確保、連立相手の保守党も伸ばした模様だ。最大野党の自由党は議席数を維持したものの、パラポリティックス攻撃で活発に動いたもとゲリラのM-19の流れを引く「民主代替の極」(PDA)は、大きく減らしたようだ。つまり、ウリベ与党が勝った。最終結果を待たず、メディアの関心は5月に行われる大統領選に向かっている。

議会選挙は同時に各党の大統領候補も選出する。統合党はサントス前国防相(58歳)で一本化していたが、保守党は複数だった。結局、サニン前駐英大使(60歳)に決まった。5月の選挙に立候補する人は8名で、前回2006年選挙では一本化したウリベ陣営が二人に分かれていることから、誰も過半数獲得はできない、と見るのが一般的だ。どちらか一人が決選投票に進む場合は、他の一方がその支持に回り現与党体制が続く可能性はあるが、二人が一、二位となった場合、6月の決選投票で合い争えばどうか。前者の場合でも、敗れた方が野党候補支持に回ることも無いとは言えまい。

サントス候補は国防相として、国民の熱狂的支持を受けウリベ人気を高めた20087月のFARC人質奪還作戦(元大統領候補を含む15人を救出)の直接最高責任者だったこと、加えて、統合党の結成を主導したことで、ウリベ陣営の代表格だ。元々は彼の家族経営のエルティエンポ誌の経営に関わり、コラムニストとして活躍した人で、国防相というイメージからは遠い。国連の通商・開発委員会に関わった国際通でもある。

サニン候補は30歳台でベタンクール政権(198286)の通信相を務めた。またガビリア政権(1990-94)でも外相を務めた。いずれも自由党政権だった。ところが12年前の大統領選に独立候補として立候補し、得票率26%を得て一躍注目され、決選投票では第一回目投票で第二位の保守党パストラナ候補を「コロンビアのための大同盟」として支持、彼の勝利に大きく貢献した。2002年も出馬したが得票は6%にも満たなかった。だから今回は三度目の挑戦で、しかも保守党からの立候補、となる。

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2010年3月 8日 (月)

ヒラリーのラテンアメリカ6ヵ国歴訪

やや旧聞に属するが、米国のクリントン国務長官が31日から5日まで、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、ブラジル、コスタリカ及びグァテマラ6ヵ国を歴訪した。医療保険制度改革など内政で多忙なオバマ大統領の名代と言う訳ではなかろうが、この人は行く先々で国家の最高指導者との会談をこなす。今回も5日間の歴訪で当該6ヵ国の大統領の他、10ヵ国の首脳と会っている。

ウルグアイでは31日、ムヒカ新大統領の就任式に出席した。ルラ・ブラジル、フェルナンデス・アルゼンチン、ルゴ・パラグアイ、チャベス・ベネズエラ、モラレス・ボリビア、ウリベ・コロンビア、コレア・エクアドルの7ヵ国の指導者が顔を揃えていた。個別会談とテーマについては、残念ながら分からない。ムヒカ大統領との会談ではウルグアイ民主主義は域内の手本になる、と讃え、長期政権に固執し反米言動を繰り返すチャベス・ベネズエラ大統領をやんわり批判したことが伝えられる。

同日の午後、もともと予定していなかったアルゼンチン訪問では、モンテビデオでの大統領就任式で一緒だったフェルナンデス大統領と会談し、マルビナス(フォークランド)領有権に関わる米国の支援要請を受けた。既に国連事務総長に対英調停を依頼しているが、国連は当事国双方の依頼でなければ動けない旨を伝えられており、イギリスに影響力のある米国の仲介の労を期待したものだ。3年前の選挙期間中、「南米のヒラリー」と言われたフェルナンデス大統領の現在の国民支持率は高くない。中銀が持つ準備金を特別基金に移し替え債務返済に充当する政策を巡り、昨年央の中間選挙の結果陥った少数与党の議会で強い反対を受け、苦慮してもいる。

32日午前、チリに向かった。2月末に大地震に見舞われ、ムヒカ就任式に参列できなかったバチェレ・チリ大統領とは、米国としての被災支援への取り組み表明など、お見舞い以上の話は無かったようだ。また、ピニェダ次期大統領を紹介されている。スペイン系ラテンアメリカ18ヵ国のもう一人の女性大統領である彼女は、311日に退任する。その半月前に襲った大地震で、甚大な被害を出した津波の警報を出さなかった大失態、災害地での救援活動の遅れや来たした治安悪化などで、政府に対する国民の不満が沸騰している。その向け先はどうしても、つい最近国民支持率が8割だった彼女になる。

32日夜、サンティアゴから到着したブラジルでは、同国がイラン制裁に否定的でしかも国連安保非常任理事国ということで、米国との共同歩調をとるよう説得するのが主眼だった、とされ、ルラ大統領とも会談の場は持ったが、突っ込んだ協議はアモリン外相との間で行われた。ブラジルは、アフマデネジャド・イラン大統領を招いて二国間関係の強化で合意したばかりで、近くルラ大統領が同国を訪問する。非核宣言を行った19672月のトラテロルコ条約批准国で、核武装は放棄しており、イランにもそれを求める、国際社会の制裁は逆効果、との立場だ。結局、話は平行線を辿った。

34日にはコスタリカに寄り、昨年628日に起きたホンジュラス政変で調停役を務めたアリアス大統領と会談した。同国のOAS(米州機構)復帰問題を話し合い、またチンチーヤ次期大統領とも会談している。そして35日にグァテマラに入った。勿論、コロム大統領との個別会談も行ったが、同地にはオルテガ・ニカラグア大統領を除くSICA(中米統合機構)加盟国とドミニカ共和国の計7ヵ国の首脳が集まっていた。何より、ロボ・ホンジュラス大統領が参加していた。彼にとっては、初めての首脳会議出席だ。ロボ政権を承認するラテンアメリカ諸国は、左派だろうが右派だろうが、まだ一部に過ぎない。ついでながらドミニカ共和国在住のセラヤ前大統領は同じ日にカラカスを訪問、翌日チャベス大統領から、カリブ海域諸国への石油供給を行う機関であるPetrocaribeの政策評議会の主席顧問として迎え入れられた。同大統領は、政治活動を認めた上でのセラヤ帰国がホンジュラスとの関係正常化の基本、として譲らない。

ところで、コロンビアとメキシコに挟まれ対米麻薬密輸ルートとして、最近米国で注目されてきたのが中米だ。グァテマラでの会談ではホンジュラス問題に加え、麻薬問題解決のための多国間協力が重要テーマだった。彼女のグァテマラ訪問直前、麻薬対策の任に当たる政府責任者と警察幹部が麻薬汚職で逮捕されていた。ここで彼女は麻薬問題の責任の一端が米国にこそある旨を率直に語っている。国務長官就任後、最初の訪問国メキシコで、米国からのメキシコ麻薬組織に対する武器の密輸を止める責任は、米国にある、と踏み込んだ発言をした人らしい。

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2010年3月 1日 (月)

無くなったウリベ連続三選

226日、コロンビア憲法裁判所は、大統領連続三選を可能にする憲法改定のための国民投票が民主主義の原則への重大な侵害、として、実施してはならない旨の判断を下した。これでゲリラと犯罪への強硬姿勢で70%の支持率を誇るウリベ大統領の連続三選の可能性は消えたことになる。彼はこの判断を尊重する一方で、コロンビア民主主義には治安面での決然とした対応が今後も必要、と訴える。

530日の大統領選には、親ウリベ陣営から国民社会統合党(’la U’)から彼の政権で国防相を務めたサントス氏(58歳)、連立関係にある保守党で女性の二人、サニン、ラミレス両氏の立候補が取りざたされる。反ウリベ陣営では、自由党のパルド元国防相と、「民主代替の極」(PDA)のペトロ・ウレゴ上院議員(50歳)の二人が有力候補だ。この中でウリベ政治の継承者を自任するのがサントス前国防相だ。昨年5月に大統領選への立候補準備のため辞任していた。テロ活動が劇的に減少したのは、彼自身の成果でもある、とする。つまり、自分こそウリベ政権の功績を築いた、という自負だ。だが、ウリベ支持率の70%の票は大きく分散する、というのが大方の見方である。反ウリベ票の行方と共に、注目したい。民意は先ず、314日の議会選でも示される。大統領選に出馬する顔ぶれは、その日に届け出が締め切られる。

ウリベ政権下のコロンビアは、南米で最大の親米国として知られる。その米国は「プランコロンビア」という麻薬撲滅のための国際支援の中で、2000年から08年まで計60億㌦とも言われる巨額援助を行ってきた。コカ栽培地での除草薬散布活動に必要な小型機や資機材の供与、及び活動要員の派遣にも充てられるが、麻薬組織、左翼ゲリラ(とりわけFARC)、それに対する自警団の全国組織(AUC)、いずれも麻薬取引に関与しているとの前提で、多くは軍事、警察関連、とされる。小型機、ヘリコプター、武器、情報機器などの供与や訓練のための要員提供など様々だ。軍事部門は従来の顧問団だけでなく、2009年の新協定で7ヵ所の基地を使用する戦闘員も派遣する。麻薬組織の幹部の多くが逮捕され、またAUCの武装解除も進んだ。社会に麻薬問題を抱える米国にとって好ましい。反米の代表格であるチャベス・ベネズエラ大統領と渡り合えるウリベ大統領の存在自体も好ましい。だが、彼が連続三選に挑むことは、オバマ政権は歓迎しない。一個人が長期に亘って政治支配する国家形態は、民主主義に馴染まないからだ。

高支持率を抱えて退陣するのは、ウリベ大統領に限らない。本日退陣するタバレ・バスケス・ウルグアイ前大統領、間もなく退陣するバチェレ・チリ大統領も同様だ。西半球で最も輝ける指導者、と讃えられるルラ・ブラジル大統領も退陣する。

連続再選自体は米国でも一般的だが、ウルグアイもチリもそれすら禁じる。一方で、南米ではエクアドルとボリビアがこれを解禁した。中米6ヵ国はどこも禁じているが、ニカラグアでは解禁の動きが出てきている。ホンジュラスでは解禁しようとしたセラヤ前大統領がクーデターで追放された。連続再選とはそれほどに重い政治テーマだ。まして連続三選なぞ、過去はいざ知らず、今のラテンアメリカでは異様とも言える。これをやり遂げたのはチャベス・ベネズエラ大統領だけだ。ウリベ連続三選となれば、緊張関係にある隣国のチャベス大統領と同じことになる。隣国同士という意味でも異様だ。

米国は当然ながらウリベ後のコロンビアにも現在の親米路線を期待する。南米ではチリが右派のピニェラ政権に代わる、と言っても、中道左派のバチェレ諸党連合政権も親米だった。つまり差し引きゼロなのだ。左派政権下のベネズエラ、エクアドル及びボリビアの3ヵ国は、ウリベ政権下のコロンビアと対立関係を続けてきた。彼の後任政権が左傾化するか否かに拘わらず、ウリベ政権そのものが無くなることを歓迎する立場だろう。

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