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2010年2月25日 (木)

成るか「ラテンアメリカ・カリブ共同体」

第二回ラテンアメリカ・カリブ首脳会議は、米加を除く33ヵ国から成る共同体構築を取り決めた。20117月のカラカスでの臨時サミットで名称や運営する組織などを決める。だが、リオグループに実効性が見えない現段階で、一気にカリブ共同体と合体して、どれほどの意味があろうか、との批評も見える。

この会議では結局、国別利害を前面に出すテーマの深化は図られなかった。ホンジュラス問題もその一つで、結局棚上げされた。アリアス・コスタリカ大統領はこのことで深い落胆の念を表明している。ただ会議後、最強硬派とも言えるチャベス・ベネズエラ大統領が、中米諸国が一致してロボ政権を承認すれば、態度の見直しも有り得ることを発言しており、来週のセラヤ前大統領がカラカスを訪問するが、その際何らかの進展も出てこよう。またコロンビアの米軍への基地使用権供与についても同様だ。ウリベ・コロンビア大統領とチャベス大統領の激しい非難応酬もあった旨報道されているが、フェルナンデス・レイナ・ドミニカ共和国大統領が仲介役となって両者間和解に当たる由だ。

共同声明には、フォークランド(マルビナス)問題についても、具体的中身には触れず、単に、アルゼンチンのマルビナス領有権を支持、という常識的な表現にとどめた。その後、アルゼンチンとして国連での協議を申し入れている。米国のキューバに対する経済制裁非難やハイチ支援も声明に入ったが、これもラテンアメリカでは意見の相違がみられないテーマである。また、グァテマラのコロム大統領に対し、先月、ローゼンベルグ事件が自作自演だったことを国際委員会が結論付けたことに対する祝意も声明に入った。一人の弁護士が、自分が死んだら、それはコロム大統領に殺害されたものだ、というビデオを残し、実際に死体で発見され、一時コロム政権が危機に見舞われた事件だ(本件はこのブログでも紹介http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/05/post-8b60.html)。

ともかく、このいわゆる「ラテンアメリカ・カリブ共同体」創設である。米国は反対こそしないが国際社会に対する米州全体の利益を代表する組織は、米州機構(OAS)である旨、クギを挿している。ベネズエラやボリビア、及びキューバは、米国が主導するOASにはラテンアメリカ利益の代表は務まらない、との立場だ。キューバは19621月にOASを除名された経験を持ち、20094月の米州サミットで復帰を認められたが、キューバ自身が拒絶した。OASと言えば、同年6月のホンジュラスのクーデターを非難し、除名し、セラヤ復権を訴えながら結局ミチェレッティ暫定大統領に時間稼ぎだけされ、何ら有効な手が打てなかった。米軍に対するコロンビア基地使用権問題では、一切動かなかった。フォークランド問題も同様だ。

だからと言って、もっと狭い12ヵ国で構成する南米諸国連合(UNASUR)すらコロンビア・ベネズエラ間摩擦の解決ができない。29日のメルヴァル大統領を招いてのハイチ支援を決める首脳会議には、議長のコレア・エクアドル大統領以外は、2223日の大規模サミットを控えていたにせよ、ウリベ、ガルシア・ペルー、ルゴ・パラグアイの3大統領しか出席していない。足元すら固まっていないように見える。僅か5ヵ国の南米南部共同体(メルコスル)では、ベネズエラ加盟は実はパラグアイ議会が批准しておらず、未だに仮加盟の状態だ。

中米統合機構(SICA)は比較的によく纏まっており、SICA全体としてのホンジュラスのロボ政権承認は時間の問題だろう。メキシコは、ラテンアメリカ帰属意識が強い。だからUNASURがしっかりしていれば、23ヵ国で構成するリオグループは確かに結束できる。UNASURの現状から思うに、イギリス連邦を構成する国が多いカリブ島嶼国をさらに10ヵ国増やして、本当に共同体として実効性のある組織ができるのか、疑問が起きても不思議ではない。20117月、カラカスで臨時サミットを開催し、そこで名称や組織についての結論が出されることになる。見守って行きたい。

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2010年2月23日 (火)

第二回ラテンアメリカ・カリブ首脳会議

222日より第二回(統合・開発のための)ラテンアメリカ・カリブ首脳会議(Summit of Latin America and the Caribbean on Integration and Development (CALC)。以下、ラ米サミット)がメキシコのカンクンで開催されている。ラテンアメリカ諸国の首脳会議では米国、カナダを含めた米州サミット(4年ごと。2009年が第五回目)があるが、ラ米サミットはこの二ヵ国抜きで、且つ、キューバが入る。第一回目は、200812月末、ブラジルのルラ大統領の呼掛けで、同国バイア州コスタ・ド・サウイペで始まった。母体は、リオグループとカリブ共同体(CARICOM)であり、前者は旧スペイン・ポルトガル植民地諸国19ヵ国と、旧仏領のハイチ、及び旧英領のジャマイカ、ガイアナ、ベリーズの3ヵ国、計23ヵ国で構成される。後者は前者への重複加盟の4ヵ国を含む14ヵ国で構成されるので、ラ米サミット参加国数は、実に33ヵ国にもなる。今回のラ米サミットには、ガイアナと招かれていないホンジュラスを除くリオグループ21ヵ国、またCARICOM加盟国で重複していない5ヵ国から大統領や首相が参加する。

 リオグループとは、19831月、当時の中米危機を対話による解決を域内で推進すべく、パナマ、メキシコ、コロンビア及びベネズエラ4ヵ国が831月に「コンタドーラ・グループ」を結成した。8612月、これを支援するブラジル、アルゼンチン、ペルー及びウルグアイ4ヵ国も参加して結成されたのがリオグループである。90年には南米の残る4ヵ国が加盟、その後も増え続け、2008年のキューバの加盟により現在の姿となった。同年3月央に第20回サミットがサントドミンゴで開催され、冷却していたコロンビアとベネズエラが関係修復を図ったものの、直前にコロンビア軍がエクアドル内FARC拠点を越境襲撃したことを国境侵犯とし、コロンビアとの外交関係を断絶したエクアドルとの修復は成らなかった。それから2年近く経ち、今回のサミットで個別首脳会談の場が持たれ、正式に外交関係が復活するようだ。一方ベネズエラとコロンビアは、後者の米軍に対する基地使用権問題で危機的な関係に陥っており、両国首脳はお互いを激しく非難し合っている。

ラ米サミットとしては、本年112日に起きた大震災で二十数万人の犠牲者など莫大な被害を出したハイチへの支援、及びロボ政権のホンジュラスの米州機構(OAS)復帰問題、という重要なテーマが話し合われるが、サミット直前に表面化したイギリス企業、デザイア石油によるフォークランド沖石油開発問題の討議も不可避だ。

ハイチ支援については、先日の南米諸国連合(UNASUR)首脳会議に同国のメルバル大統領を招き、1億㌦の資金支援が決まった。その直前に、今期議長国エクアドルのコレア大統領が被災地を訪問したが、首脳としては陸続きのドミニカ共和国のフェルナンデス・レイナに次いで二人目だったそうだ。

ホンジュラス問題は相変わらず難問だ。関係改善に前向きな国も出ては来ている。欧州連合(EU)・中米間の「連合協定」交渉が進められているが、中米にはホンジュラスも含める前提だ。つまりEUはロボ政権承認に動きだした。中米諸国はニカラグアを除くと外交関係を復活させている。米国とカナダも同様だ。これに対して、ALBA加盟国(ベネズエラ、キューバ、ニカラグア、ボリビア、エクアドル)はロボ政権を承認せず、と言う立場を堅持する。最も発言力が大きい、と思われるブラジルは、セラヤ帰国と和解を強く求める。多くの南米諸国がクーデターに対する拒否反応は強い。OAS復帰については何らかの動きが出るとしても、すっきりしない状態は続こう

「マルビナス(フォークランド)は固有の領土であり、イギリスが一方的にこれを略奪し、返還要求を繰り返してきたのに無視し続けられている状態」、というのが歴代のアルゼンチンの立場だ。今回のラ米サミットへの徒爾、フェルナンデス大統領が立ち寄ったベネズエラで、チャベス大統領がエリザベス女王やブラウン首相を激しく糾弾した、との記事が出ていたが、ホスト国メキシコのカルデロン大統領も、ラテンアメリカ諸国はアルゼンチンのマルビナス領有権を支持する、と言明した。サミットにはジャマイカ、トリニダード・トバゴやバルバドスなどイギリス連邦諸国からも参加しており、これが精一杯だったのだろう。

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2010年2月 8日 (月)

コスタリカの初代女性大統領

201027日、コスタリカで総選挙が行われ、大統領選は与党の国民解放党(PLD)のチンチーヤ(Laura Chinchilla Miranda副大統領(50歳)が、4年前アリアス現大統領と得票率で1%以下の接戦に追い込んだ市民行動(PAC)のソリス氏を、今回は20ポイント以上もの大差で下した。政党別議席数は未だ情報が入っていない段階だが、PLDが連続して政権党を務めるのは1982-90年以来のことだ。

チンチーヤ次期大統領は若い時分から国内外の行政組織で活躍し、フィゲレス・オルセン政権(1994-98)で35歳にして入閣、その後国会議員、副大統領と経歴を積んできた。政界では最も保守的な人として知られるようだ。コスタリカは国家としてローマカトリック共和国と規定される。アリアス大統領などは今や政教分離を実現すべき、との考えだが、彼女は反対する。堕胎は女性保護の立場からか強く反対し、同性愛や避妊にも疑問を投げかける。もともとPLDは社会主義インターナショナルに加盟し、中道左派程度に見られても良いほどだが、私は右派として扱っている。彼女がPLD政権を引っ張るようになれば、何となく我が見方に自信が持てる。

PLDは、彼女が初入閣した時の大統領、フィゲレス・オルセンの父、フィゲレス・フェレル(José Figueres Ferrer1906-90)が1951年に創設した。以来今日までの59年間で、彼とアリアスの二回ずつを含め、32年間、政権を担ってきた。619月のキューバとの国交断絶は国民連合党という保守政権が行い、77年の国交再開はPLN政権が、そして81年の再断交は非PLN政党連合が行った経緯から、私自身、PLNが中道と思い込んできた。しかし以下のような背景で、思い直している。

19482月の総選挙で、与党のカルデロン・グァルディア(Rafael Ángel Calderón Guardia1900-7040-44年大統領)の大統領再選は成らなかった。この選挙に不正があった、として彼は不服を申し立て、3月に彼の政党が過半数を得ていた議会が、同選挙の無効を宣言した。この時フィゲレス・フェレルが「国民解放軍」の名で武力蜂起し、内戦に及んだ。国際調停により6週間で終わったが、その後、彼を首班とする革命評議会が、国軍廃止の平和憲法制定を推進、制憲議会の承認などを経て、日本の平和憲法に2年ほど遅れ4911月に発効する。一方でこの革命評議会は、カルデロン・グァルディアを支持していた共産党と労働組合の全国組織を非合法にした。

カルデロン・グァルディアのいわゆる「カルデロドニスタ」勢力は残った。現在は83年に創設されたキリスト教社会統一党(PUSC)がその政党である。1990年、彼の息、カルデロン・フォルニエルが大統領になった。この後フィゲレス・オルセン政権を挟むが、98年から2006年までの二期8年間、ロドリゲス、パチェコのPUSC政権が続いた。ところが、2006年総選挙で大統領候補は3%台の得票で、議席は5議席(全57議席)に、一気に落ち込んだ。凄まじいばかりの凋落だ。理由はロドリゲス及びカルデロン・フォルニエル両元大統領の汚職疑惑にある。そして一気に大政党に躍り出たのが、オットン・ソリス氏の市民行動党(PAC)だった。だから、私にはPLNの対立政党こそが左寄り、に思えるようになった。もう一つの野党、自由運動(ML)は今回、PACに肉薄する得票だ。少なくともPACよりは、ひょっとすればPLNよりも右寄りかも知れない。いずれにせよ、左派票が大きく落ち込んだことは確かだ。

ともあれ、チンチーヤ次期政権である。民選の女性大統領は、中米ではニカラグアとパナマに先例があるが、じれも、夫々反ソモサ運動指導者、3度大統領になった政界の大重鎮の未亡人だ。アルゼンチンのフェルナンデス大統領は弁護士出身で政界歴も長いが、どうしてもキルチネル前大統領夫人、というイメージも付いて回る。何の家族的背景も無い女性大統領としては、チリのバチェレ大統領に次ぐ、と言える。

コスタリカは、米国と中米・カリブの自由貿易協定(CAFTA-DR)加盟国で、唯一台湾ではなく、中国と外交関係を有する。上記のようにPLNを右寄りに捉えると皮肉なことかも知れない。だが皮肉と言えば、左派政権のニカラグア、中道左派のエルサルバドル及びグァテマラは中国ではなく台湾と外交関係を持つ。政権の左寄り、右寄り、ということと繋げて考えることもあるまい。チンチーヤ次期大統領も勝利宣言の中で中国政府のコスタリカ支援(国債買いあげ)に深い感謝の念を述べていた。ブラジルやチリなどと違い、世界同時不況の真っ只中にいる。財政が厳しいだけに中国の対応は有り難い。

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