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2010年1月28日 (木)

ホンジュラス-ロボ政権の門出

(本項では、セラヤ氏、ミチェレッティ氏、及びロボ氏の肩書きを敢えて外しました。肩書抜きで表記する人名は、敬称を略します)

127日、ホンジュラスで大統領就任式が行われ、ポルフィリオ・ロボ政権がスタートした。参列した外国元首はフェルナンデス・レイナ(ドミニカ共和国)、マルティネッリ(パナマ)の両大統領と台湾の馬総統の3人だけ、域内でこの政権を承認する国はコロンビア、コスタリカ及びペルーがあるが、どこも大統領は参列していない。ロボ政権は自らの国民党のみならず1129日の大統領選候補者も加えた統合政府樹立を言明し、2009628日のクーデターに関し、議会承認を経て、セラヤ大統領を含む全当事者への恩赦も行った(なお、最高裁では違憲や国家背信などでセラヤ有罪のまま、としており、一方で彼を逮捕しコスタリカに追放した軍部関係者に対しては無罪判決を26日に下している)。セラヤは家族と共に、大統領就任式に参列後のフェルナンデス・レイナ大統領が同行する形で、ブラジル大使館からサントドミンゴに移った。

ロボ政権は、先ず国際的承認を得る、という基本的な政治課題を克服せねばならない。米国(就任式にバレンスエラ国務次官補が参列)の影響力に期待しているようだが、容易ではない。先ずセラヤ復帰を促す最後通牒をミチェレッティに無視された米州機構(OAS)は、1129日選挙自体を認めていない。ロボも居座り続けたミチェレッティの頑なな対応が国際社会との亀裂を広げた、と、政権発足前から公然と批判していた。関係修復を狙い隣国グァテマラのコロム大統領を訪問したが成功しなかった。フェルナンデス・レイナ大統領をも訪問したが、ドミニカ共和国によるセラヤ受け入れを取り決めたことが奏功した程度の話で、国際社会のホンジュラス新政権に対する眼は冷たい。OASは近く代表団をホンジュラスに派遣する、としているが、仮に態度を軟化させても彼を大使館に保護していたブラジルや、クーデターを最も激しく非難していたチャベス大統領のベネズエラなどを説得できるか、一筋縄ではいくまい。ただ、米国の影響力が強い世銀とIMFは中断していたホンジュラス支援再開に動き出した。

中米諸国は、中米共同市場(MCCA)及び中米統合機構(SICA)で一体化している。私の理解に間違いなければ、中米統合銀行(BCIE)の本部はテグシガルパに置かれている。世銀などと足並みを揃えホンジュラス支援を再開した。加えて、米国とドミニカ共和国も参加する自由貿易協定(CAFTA-DR)がある。何時までもホンジュラスを疎外して良いわけがない。コロム・グァテマラ大統領は、既にロボと応対している。

セラヤ自身は、サントドミンゴ滞在は短期間とし、メキシコに入り、いずれ帰国する意向が強い。それまでの間、祖国の孤立状態解消のため、一肌脱ぐ積りがあるだろうか。彼の外交戦略の一つで、200810月に議会批准も得て加盟した米州ボリーバル同盟(ALBA)については、ミチェレッティ暫定政権が脱退を決めている。それ以前に、ALBA諸国のどこも、ベネズエラの格安石油供給を含め、加盟国扱いを止めている。セラヤは、帰国してブラジル大使館に入る921日以前、ニカラグアに長く滞在していた。オルテガ大統領とは親しい。何かやってくれようか。

中米諸国で関係が正常化すれば、残るはコロンビアとペルーを除く南米諸国とメキシコ及びキューバだ。チリのピニェラ次期政権は右派だ。ブラジルでは総選挙が今年10月に行われるが、中道のセラ候補が有力視される。だがいずれもクーデターに対する見方は、軍政で苦しんだ歴史を持つだけに、非常に厳しい。米国による指導力発揮を云々できる次元の国は、南米には少ない。これは現在の右派、カルデロン・メキシコ政権も実は同様である。ただホンジュラスは国として、元々域内でも貧困国なのに一層の経済的苦境にある。放ってはおれまい。

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2010年1月18日 (月)

チリの政権交代

117日に行われたチリの大統領選決選投票で、野党連合「チリのための同盟(以下「同盟」)」ピニェラ上院議員が、第一次選挙の44%の得票率を8ポイント伸ばし、当選を決めた。フレイ元大統領陣営はピニェラの金権を批判し、また今なお80%の国民支持率を誇るバチェレ大統領が右派政権への疑念を公言し、第一次敗退のオミナミ候補が終盤でフレイ支持を明らかにしても、当選した。民主的手続きを経た右派政権の誕生は52年ぶりだ。大統領はピニェラ候補の勝利が確定するとすぐさま本人に祝意を述べた。

この国では1970年に、同じように民主的手続きをとって社会主義政権を誕生させた。73911日にピノチェト将軍によるクーデターで崩壊し、ラテンアメリカで民主主義が最も深く根付いたこの国に、人権侵害ではアルゼンチンと並ぶ暗く長い軍政が襲いかかった。ピノチェト軍政に関わったとされる勢力が1983年に創設した独立民主連合(UDI)と1987年創設の国民革新党(RN)によって構成される「同盟」だが、内政面では、公約した国営産銅会社CODELCOの一部民営化などを除くと、与党連合のコンセルタシオン(諸党連合、以下「連合」)と政策に違いが見え難い。その意味で安心感が有る。ピニェラ次期大統領は勝利宣言の中で、良い国を築き上げるためには健全野党の存在は不可欠、と「連合」にもエールを送ると共に、ピノチェト政権関与者は政権から排除する旨を言明した。

外交面では、バチェレ大統領が一線を画しながらも友好関係を維持してきたベネズエラのチャベス、ボリビアのモラレス両大統領がどう出るか、注目したい。少なくともボリビアの太平洋への出口を巡る問題で早速暗い影が掛り始めた。対ペルー関係については、ガルシア大統領がピニェラ歓迎の姿勢を示しているにせよ、海上の国境線問題は根が深く、一気呵成の改善とは行くまい。対ホンジュラス関係は、一週間後に発足するロボ政権を承認するラテンアメリカ諸国の少数派の一つになるのかどうか、これも注目点だ。一方でその他の南米諸国、及び米国とは従来通りの好関係を維持していくものと思う。

民主主義に対する価値観を米国と共有してきたチリは、第二次世界大戦後ずっと親米国だった。現中道左派の「連合」政権でもそれは変わらず、加えて経済政策は米国の新自由主義に近いピノチェト政権時代からの市場主義を踏襲してきたし、アンデス諸国で真っ先に自由貿易協定(FTA)を取り決め、発効させている。ピニェラ次期大統領は、所得倍増を公約とする。一人当たりのGDPが既にラテンアメリカ随一であるだけに、大変野心的な公約、と言えよう。

南米10ヵ国で右派政権はコロンビア1ヵ国だったのが、今後2ヵ国となる(私のホームページ「ラ米の政権地図」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C3_1.htm#1参照)。

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2010年1月 5日 (火)

ラテンアメリカ-2010年選挙

2010年のラテンアメリカ選挙カレンダーを見ると、大統領選挙がチリ(117日。決選投票)、コスタリカ(27日)、コロンビア(530日)及びブラジル(103日)の4ヵ国で、議会選挙がコスタリカ(27日)、コロンビア(314日)、ドミニカ共和国(516日)、ベネズエラ(926日)及びブラジル(103日)の5ヵ国で行われる。ここではチリの決選投票以外について簡単に述べておきたい。

最も注目されるのは、一般的にはブラジル大統領選だろう。ラテンアメリカで最も存在感のあるルラ大統領は、出馬できない。与党候補はディルマ・ルセフ(選挙時62歳。以下同)官房長官だが、野党で中道の社会民主党(PSDB)のサンパウロ州知事、ジョゼ・セラ候補(68歳)が世論調査では現在、彼女の2倍ほどの支持率を得ている由だ。つまり、ルラ与党、労働者党(PT)が下野する可能性が囁かれる。セラ候補は2002年に出馬して僅差でルラ候補に敗れた人だが、2006年は候補を辞退しサンパウロ知事選に臨んだ。現職大統領の80%もの高支持率が与党政権の継続に繋がらないのは、チリに似ている。因みに、カルドーゾ前大統領(在任1995-2003)もPSDBより出ている。

しかし、私はベネズエラの議会選の方が気になる。大統領の6年と異なり、国会議員の任期は以前のまま5年なので、同国ではラテンアメリカ諸国では一般的な大統領選と議会選が同日に行われる総選挙方式は採らない。2005年議会選には、反チャベスの主要政党、新時代(UNT)及び民主行動(AD)‐社会キリスト教(COPEI)連合がボイコットした。そのため当時の第五共和国運動(MVR)が、定数167議席中116議席を押さえるに至り、他小政党の合流を得て2007年に旗揚げした統合社会党(PSUV)になってチャベス大統領の政権地盤は盤石となっている。一方で、2006年の大統領選でチャベス再選は成ったものの、UNTのロサレス元スリア県知事に38%をもたらした(本人は20094月、ペルー亡命中)。再びの議会選ボイコットがなければ、UNTAD-COPEI連合が大量の議席数を確保しよう。それが、チャベス政権運営に大きな影響力を及ぼしうるか、注目する次第だ。

コスタリカはラテンアメリカ諸国では一般的、といえるブラジル同様の総選挙制を採る。大統領選には、アリアス与党の国民解放党(PLD)からは女性のチンチーヤ副大統領が出馬するが、2006年選挙ではノーベル平和賞で知名度の高いアリアスを得票率で1%以下の僅差に追い詰めた市民行動(PAC)のソリス氏(56歳)らと戦うことになる。彼は元々アリアス第一次政権下で経済相を務めた人だが政治思想面で左派傾向が強く、彼とは袂を分かち2000年にPAC を創設、2002年より大統領選に出馬してきた。米国と中米・カリブの自由貿易協定(CAFTA-DR)批判で知られる。議会勢力でみると、前回選挙でPACが獲得した議席数は首位PLS25議席)を大きく下回る17議席だ。アリアス大統領がホンジュラス政変の調停には失敗したことが議会勢力を含めどう影響するか、注目したい。

コロンビアは大統領選の2ヵ月前に議会選を行う。ラテンアメリカでは珍しい制度を採る。ウリベ与党の「コロンビア第一」は国民社会統合党(la U)、伝統政党の保守党、及び急進改革(CR)の3党を軸とする。他にも多くの政党が参加する。だがこれら3党だけで2006年選挙では定数162議席の下院で72102議席の上院で53議席を得た。野党側では同じく伝統政党の自由党と、ANAPO(国民同盟)の流れを汲む「民主代替の極」(PDA)があり、ここから5月の大統領選に出馬予定のペトロ・ウレゴ上院議員(50歳)は、M-19のゲリラ出身だ。M-19ANAPOの急進派が立ち上げ、1980年にドミニカ大使館占拠、85年に最高裁襲撃などで世界の注目を浴びた。90年に武装解除した。自由党からはパルド元国防相(56歳)が出る。だが、ウリベ連続三選にこそ関心が集中する。コロンビア史上初となるが、隣国ベネズエラとの緊張関係の行方を占う意味でも当然だろう。

ドミニカ共和国の議会選は、政権央の中間に行われる。かかる中間選挙方式は、アルゼンチンもある。異なるのは改選が上(全32議席)・下(同、178名)両院の全議席、という点だろう。フェルナンデス・レイナ与党はドミニカ解放党(PLD)、野党はドミニカ革命党(PRD)を中心とするが、元々はPRDの創設者の一人ボッシュ(1909-2001)が離党してPLDを創設したので根は一つだ。PRDはバラゲル(1906-2003)が創設したキリスト教社会改革党(PRSC)と組んだ「国民大同盟」の形で与党と対峙している。PLDがやや左寄り、と性格付けされているものの、経済社会政策面での相違は見え難い。

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