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2009年11月25日 (水)

コロンビア・エクアドル復交

1124日、コロンビアとエクアドルが国交を回復した。0831日にエクアドル領域のFARC拠点をコロンビア空軍が襲撃して20ヵ月ぶりのことだ。方やコロンビアの東側隣国、ベネズエラとは米国軍の7基地使用権問題に端を発した国交凍結状態に陥っている。コレア大統領は、基地使用権問題ではチャベス・ベネズエラ大統領に同調する。だが隣国との断交関係の長期化は国益上、決して望むところではない。まして自らは現在、南米諸国連合(UNASUR)議長を務める立場でもある。今月末の首脳会議までには国交を回復しておきたい思惑もあっただろう。

コロンビアは今後エクアドル国境地帯におけるFARC活動は、プトゥマヨ川(アマゾン流域への可航河川。コロンビア国内)のプエルト・レギサモに建設したばかりの海軍基地を拠点に監視する体制を採る。また、エクアドルも軍と警察合わせて1万人を国境地帯に展開し、700㎞に及ぶ国境線をコロンビアの違法組織による越境を阻止する。

エクアドルとは、植民地時代、ボゴタを首府とするヌエバグラナダ副王領にあって、キトのアウディエンシア(司法行政府)が管轄した西南地方が、ボリーバルが創設したコロンビア共和国(現在のコロンビア共和国と区別するためグランコロンビアと通称される)から分離独立して生まれたものだが、独立革命(アウディエンシア長官の罷免)自体は彼のベネズエラ(軍務総監の罷免)より、また副王罷免より前に勃発している(私のホームページ「ラ米の独立革命http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/CI2.htm」参照)1830年の分離独立時の領域は現コロンビアのカウカ県など西南部に及んだが2年後には併合され、国土は縮小した。カトリック教会の影響力が強く、その特権を認めない自由党政権が始まったコロンビアに軍事侵攻したこともある(186312月、クァスパーの戦い、敗退)。

18959月、エクアドルでエロイ・アルファロ(1842-1912)による、いわゆる「グャヤキル革命」が起き、保守的だったこの国に自由主義時代が訪れた。彼とプラサ・グティエレス(1865-1932)が交代で政権を担う時代が1916年まで続き、その間彼は暗殺されている。257月の、いわゆる「七月革命」までは、政情は比較的に安定していた。

一方のコロンビアでは、実質上1880年から保守党政権時代に代わり、1893年、95年と自由党による武力蜂起を見た。その都度制圧されたが、1899年のそれは3年強も続く「千日戦争」に発展、10万人と言われる犠牲者とパナマ喪失を伴う痛ましい内戦となり、最終的に保守・自由両党の和平が成り、保守党政権下であっても自由党が蜂起することはなくなった。勿論、パナマ独立を支援した米国との関係は冷え込んだ。和解に向かったのは、144月締結の「トンプソン・ウルティア条約」(コロンビアがパナマ独立を承認する見返りに、米国がコロンビアに対し2,500万ドルを支払う、とするもの。米国側で議会批准が遅れ、実行は214月)による。

1930年代の世界恐慌は、エクアドルでは軍事クーデター、コロンビアでは自由党への政権交代に発展した。前者ではベラスコ・イバラ(1893-1978)、後者ではガイタン(1903-48)という有名なポピュリストが活躍を始めたのは、この時代だ(私のホームページ「ラ米のポピュリズム」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C9_1.htm#4参照)。エクアドルは48年まで政情が混沌とし、同年落ち着いた。この年、コロンビアでは48年ガイタン暗殺からいわゆる「ビオレンシア(暴力)」の時代に突入した。

19536月、コロンビアで90年ぶりの軍事クーデターが起きた。これを終わらせたのは567月に保守・自由両党が相互に政権交代を約束する「国民戦線」(事実上86年まで続く)結成によって、である。ビオレンシアは64年までには終わったが、今度はFARCなどの左翼ゲリラ、自警団、そして70年代に入ると麻薬組織が活発化し、別の形での暴力の時代に入った。左翼ゲリラは今日なお活動しているし、自警団は全国組織まで出来ながら一応は武力解除に動き、コロンビアの麻薬組織は大規模カルテルこそ崩壊しても、厳として世界最大のコカイン供給者の地位にある。これを抑えたい世界最大のコカイン消費国の米国が、コロンビア政府支援に腐心するのは当然だろう。

一方のエクアドルでは、19637月より79年まで(途中、短期民政移管を経て)、軍政を経験した。民政復帰後96年までは政情も落ち着いていたが、その後10年間に亘り、48年以前に逆戻りしたかのような政治混沌時代が再現されている。20001月には、グティエレス大佐(後の大統領)率いる若手将校の数日間の反乱、という事件も起きた。通貨の米ドル化に反発したものだが、これは彼自身の政権時代を含め、今日も続いている。そして、コロンビアの麻薬密輸取り締まりの一環で、99年、翌2000年より10年間に亘るマンタ空軍基地への米兵受け入れ(最大475名)協定を結んだ。20083月、コロンビア軍がエクアドル領内のFARC基地を襲撃するにあたり、マンタ基地米軍からの情報が果たした役割は大きかった、とされる。米国にとって、FARCは麻薬密輸組織兼テロリストだ。見過ごせなかったのだろう。

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