ゲリラ出身のムヒカ次期大統領とウルグアイ
11月29日のウルグアイ大統領決選投票で誕生するホセ・ムヒカ(35年生まれの74歳)次期大統領は、民選のラテンアメリカ十八ヵ国では、ニカラグアのオルテガ大統領に次ぐ二人目のゲリラ出身だ。逮捕され収監された経験があるのも同じである。オルテガは十代の頃から、且つFSLN結成前からゲリラ活動に入った。これに対しムヒカは伝統的政党の国民党(ブランコ党)での政治活動を経て、オルテガが逮捕され収監された頃に、トゥパマロスに参加した。ムヒカが最後に逮捕され収監されてから2年後にオルテガは大司教の仲介で釈放され亡命、そして帰国後、右派を含めた反ソモサ陣営を纏め、革命を達成し、弱冠34歳で国家再建評議会議長となった。その6年後、ムヒカはウルグアイ民政移管の恩赦で50歳になろうという時に釈放され、オルテガは選挙で大統領になった。ムヒカは通算14年間もの収監期間を経た。実際にゲリラ活動に携わった期間はかなり短い。
FSLNもトゥパマロスも、革命(1959年)後初期のキューバに大きく影響を受けた勢力が結成した。前者は学生運動が先鋭化したもので、後者は砂糖産業労組指導者だったラウル・センディック(1926-89)が組織化した。拠点は前者が農村部だったのに対し後者は都市部だった。ニカラグアはソモサ家支配の時代にあり、キューバ革命勃発前のキューバ(バティスタ独裁)同様、反独裁という国民意識に訴えうる状況にあった。従って、革命にまで付き進めた。ウルグアイの状況は、これと大きく異なる。
ウルグアイといえば、ラテンアメリカの中ではチリと並び民主主義が根付いた国として知られる。なるほど、1973年より85年まで軍政時代をみた。この軍政は人権侵害で国際人権団体から厳しく糾弾された一つだ。民政移管後、だが、本来の民主主義を発揮している。政権交代も、二大政党のコロラド党と国民党(1990年及び95年)は順調だった。ただ左派勢力たる拡大戦線の勢力拡大に対する危機感が募り、両党が事実上の連立関係を築いた。それでも2005年、その危機感が現実となり拡大戦線に政権が移った。国情不安は訪れず危機感が杞憂だったことを示した。
二大政党は、1828年の建国からほどなくして生まれた。建国期の敵対する二人のカウディーリョの勢力が元となっており、建国後の半世紀もの間、抗争を繰り返し、時に武力を伴った。パラグアイを殆ど壊滅状態にまで追い込んだパラグアイ戦争(1864-70年)勃発は、実はウルグアイの二党間抗争に行きつく。その後、両党が政権運営を共同で行う時代が長く続いた。二十世紀初めに登場したコロラド党のバッジェ(1856-1929。大統領在任1903-07、1911‐15)が、かかる、いわば談合政治に終止符を打つ。彼は長くウルグアイ政界を指導した比類なき政治家で、福祉国家に導く政策などで知られる。
1918年、ウルグアイにユニークな政治制度が導入された。大統領の権限を外交、防衛及び国内治安に制限し、財政他の権限を9名から成る行政委員会に委ねる複数行政制度(1918-33年)がある。これを強力に推進したのが、バッジェである。ところが委員は、二大政党に割り振られた。大統領に権限が集中するのを回避するものではあるが、一方で談合政治への回帰とも言える。世界恐慌期の33年に一旦廃止されるが、52年、今度はコレヒアードと呼ばれる執政委員会の形で復活した。1年交代で大統領を務め、国政は委員会での協議を経て行う。66年の国民投票で憲法が改正され、元の大統領制に戻る。トゥパマロスが活動を開始した頃だ。
1968年、つまりゲバラ暗殺の翌年、世界中で学生や労組の反政府運動が激化するが、ウルグアイも例外ではなく、当時のパチェコ大統領(在任1967‐72年)は非常事態宣言を発して制圧を図った。トゥパマロスが武力革命を目指すようになるのは、この頃、とされ、政治家の誘拐や暗殺を繰り返すようになった。1970年代早々、米国FBIのエージェントの誘拐、殺害や英国大使の誘拐(後日釈放)などで国際的注目を浴びている。指導者のセンディックや彼に合流したムヒカらは治安当局により逮捕され、投獄、脱獄を経験する。ボルダベリー大統領(在任1972-76年)は着任早々、内戦状態宣言を行い、治安強化を図った。センディック、ムヒカらは72年末に再投獄され、85年3月の民政移管に伴う恩赦で釈放されるまで服役した。ボルダベリーが議会解散を断行、事実上の軍政に入ったのは73年6月のことだが、仮想敵のトゥパマロスは内戦継続など覚束ないほど弱体化していた。
ウルグアイ民政移管後、トゥパマロスは武力闘争を破棄し、「人民参加運動(MPP)」という政党になり、センディック死去後は、ムヒカがこれを率いてきた。「拡大戦線」(1971年に社会党、共産党、キリスト教民主党などの非二大政党により結成)をもともと支持していたが、この一角に入り今日に至る。タバレ・バスケス大統領の社会党を遥かに凌ぐ最大勢力と言われる。ただ、ムヒカ自身は大統領就任後、MPPを離党する、としている。10月の総選挙の結果、議会では上院、下院とも与党「拡大戦線」が夫々1議席ずつ半数を上回った。前任者の路線を継続することが、安定政権の運営に繋がる、との発想だろうか。