オルテガの挑戦
ニカラグアの最高裁判所が、オルテガ大統領の申し立てを受け、大統領などの連続再選を禁じた憲法そのものが違憲、とする裁定を下した。最高裁には与党FSLNの判事が多い。裁定に反発する議員の抗議行動が注目される。ラテンアメリカ十九ヵ国の内、現在大統領の連続再選を認めるのは八ヵ国だが、四ヵ国はニカラグアを除く左派政権下の国で、その内の二ヵ国、ボリビアとエクアドルは、09年になって漸く実現させた。ALBA加盟国の左派政権国で連続再選を禁じているのは、今やニカラグアのみだ。
連続再選は左派政権下だからできる、というものでもない。アルゼンチンではカヴァロ・プランで、ブラジルではレアル・プランで夫々のハイパーインフレを収束させ社会経済安定をもたらしたメネム及びカルドーゾ政権期に実現した。コロンビアは言うまでもなく、ゲリラと麻薬組織に挑み、犯罪率を急低下させたウリベ政権下に実現した。国民支持率が高い大統領の下で初めて可能なテーマである。また大統領にカリスマ性も要求される。
FSLNのゲリラ出身のオルテガは1979年7月のニカラグア革命指導者であり、先ずカリスマ性は高い。キューバのカストロには及ぶまいが、ベネズエラのチャベス以上だろう。33歳で革命政権首班に就いた。カストロが実権を握った時と同年齢だ。79年から85年まで、また国際的認知度は低いものの民選大統領として85年から90年まで政権を担った。90年選挙ではビオレタ・デ・チャモロに、96年には立憲自由党(PLC)のアレマンに、また2001年にはその副大統領だったボロニョスに夫々敗退したが、得票率は41%、38%、42%と、国民の支持の高さを物語る。06年に返り咲きを果たし、11年に出馬すれば当選確実、とされる。それだけに抗議行動が激化していく可能性はあろう。
ラテンアメリカ最貧国のニカラグア。1838年4月にグァテマラに次いで中米連邦から離脱したものの、保守的なグラナダ地方、自由主義の強いレオン地方の融合が進まず、チブチャ系ミスキート族の先住民が定住するカリブ海岸一帯のモスケティアへの実効支配が及ばずいつしかイギリスの保護領然となっており、で、国家統合は遅れた。自由主義政権時代の1856年、米人のウォーカーという冒険家がニカラグア大統領に収まり、彼を追放するため中米諸国が結束して、いわゆる国民戦争まで起きた。建国どころではなかった。
1893年7月にセラヤ(José Santos Zelaya)が武力で政権を奪取した。国民戦争後絶えていた自由主義政権は、こうして暴力によってできた。彼は翌1894年、モスケティア地方を武力制圧し、イギリスから同地方のニカラグア帰属権を勝ち取った。一方では基本的人権や公教育の推進に注力し、インフラ整備を進めるなど、善政も多かった。だからこそ3選まで漕ぎ着けたが、現在のような公正な選挙の結果とは言い難い。ホンジュラスなどの政治勢力間抗争に介入し、当時の中米政情不安の基にもなった。
それから一世紀近くが過ぎ、そのホンジュラスでは、同じ姓のセラヤ大統領が、改憲の国民投票を断行しようとして、クーデターに遭った。時の大統領が連続再選を目指し、その結果クーデターで失脚した例は、ラテンアメリカ史を紐解くと、結構な数になる。だが、ニカラグアのセラヤは、米国が望む中米一帯の平和と安定に脅威を与える、との判断から、米国が反対派勢力への支援や隣国への圧力を行ったことは知られる。結局1909年12月に失脚を余儀なくされた。一世紀経ったホンジュラスでは、米国は国際世論と軌を一つにして、彼の復権を支持している。
ニカラグアのセラヤ失脚後、米国の介入が繰り返され、1912年8月から事実上の米軍統治時代(1912-25、1926-33年)を見た。この間も少しも国民生活向上は図られていない。米軍はニカラグアに国家警備隊という軍組織を作らせた。一方で、米軍統治に反発するサンディーノ(Augusto Nicolás Calderón Sandino)による反米ゲリラ闘争も行われた。彼は、米軍が最終的に撤収しゲリラ活動を停止した後の1934年に暗殺されているが、これには国家警備隊が絡んでいることがよく知られる。その長官のソモサ(Anastasio Somoza García)が事実上のクーデターで政権を掌握したのは、その2年後のことだ。彼は56年9月に暗殺されているが、その後は長男のルイスと二男のアナスタシオ(父と同名。区別するため父を「タチョ」、次男は「タチート」とも呼ぶ)が継いだ。ソモサ家支配は、43年間も続いた。やはり経済開発は進まなかった。
そしてニカラグア革命である。ここでも米国のCIAが登場したことがよく知られる。反革命勢力(コントラ)への支援だ。これがニカラグア内戦を呼び起こした。コントラの武装解除は、90年のことである。
ニカラグアの貧困を米国に帰す積りは毛頭、無い。あくまでも同国の為政者や社会構造上の問題だろう。ただ、ニカラグア理解には上述の史実は無視できない。
ニカラグア革命に、ビオレタ・デ・チャモロの夫で新聞社主のペドロ・チャモロ(Pedro Joaquín Chamorro Cardenal)の存在は大きかった。彼の反ソモサ運動が国民を動かし、彼が暗殺されたことで運動は一気に高まった。だから、オルテガが革命政府首班だった、としてもビオレタが入っていたことで革命は国内的にも国際的にも認知度を高めた。ここで指導力を発揮できたことで、オルテガの国内的名声も高まった。且つ、ニカラグア人なら誰でも敬愛するサンディーノの名前を持ったサンディニスタ軍を背後に抱える革命家、となれば、畏敬も出る。彼が次回大統領選で再選されると、任期は2017年1月まで、となる。1979年7月以降では彼が最高権力者である期間は、21年間に及び、セラヤの16年間を抜き、初代ソモサ「タチョ」の20年間を上回る。果たして実現出来ようか。これから連続再選に反対する勢力の多い議会の審議を経ることになる。