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2009年10月 3日 (土)

2016年オリンピック

2009102日、コペンハーゲンの国際オリンピック委員会総会で、2016年五輪開催地にリオデジャネイロが決まった。フアン・カルロス国王、鳩山首相、オバマ大統領が駆け付け招致演説したマドリード、東京、シカゴを押さえた結果で、やはり招致演説に駆け付けたルラ大統領が、これでブラジルが一流国として世界に認められた、と涙した姿に感動した人は多かろう。中南米各国の首脳からも手放しの祝賀が寄せられている。

102日と言う日は、1968年、トラテロルコ広場に集合した1万人ほどの学生らのデモ隊に出動した治安部隊が発砲し、40人とも300人とも言われる犠牲者が出た、いわゆるトラテロルコ虐殺事件が起きた日でもある。この年、メキシコでは中南米最初のオリンピックが開催された。非先進国では初めての大会だった。莫大な費用がかかる。メキシコ人一般の生活水準は低く、労働組合や学生らに五輪開催への反発が募った、という。一方で、世界中のメディアがメキシコに集まってきていた。この事件は、テレビを通じ生々しく世界に発信された。オリンピックのメキシコ大会自体は無事に開催されはしたが、以後、モスクワ、ソウル、北京、と、いわゆる非先進国での開催が増えているのに、中南米から開催地候補に名乗りでる国が長年に亘り途絶えてしまった。

1968年は、学生らを中心とした反政府運動が燎原の火のように世界中に燃え広がった年として記憶される。キューバ革命後の60年代、左翼思想に突き進んだ学生、労働運動は中南米に蔓延し、多くの国が軍政に入った。ブラジルも、左派系のグラール政権を転覆した軍政が64年に発足し、21年間も続いた。67年の10月、ボリビアで革命運動を行っていたキューバ革命の英雄、チェ・ゲバラを処刑したのも、ボリビア軍政だった。トラテロルコ事件の翌日にはペルーに左派軍政が誕生し、その一週間後には、殆ど五輪に合わせたようなタイミングで、パナマに民族主義軍政が成立した。エクアドルやボリビアで軍内左派が主導する時期さえあった。要するにそんな時代のことで、軍政化を免れた数少ない中南米諸国の一つメキシコには、時期として不幸だった気もする。その二年後、同じメキシコでサッカーのワールドカップも開催されたが、この時は何事も無かった。

トラテロルコ虐殺から41年、リオ大会は、開催費用は当時のメキシコ大会とは比較できぬほどの巨額に上ろう。ブラジル国民は、当時のメキシコ国民以上の生活水準を得ている。ルラ大統領自身が左翼系の人で、福祉や貧困対策にも積極的だ。国際的知名度も非常に高い。国民的人気もある。サッカーのワールドカップとオリンピックが続けて同一国で開催されるのは、今までは上記メキシコ以外ではドイツ(72年と74年)と米国(94年と96年)しか無い。2014年にワールドカップで開かれるブラジルは、4番目の国となる。お祭り好きなブラジル人には、嬉しいニュースだ。問題の治安問題を何とか凌いで、いずれも大成功となって欲しいものだ。

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