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2009年9月23日 (水)

セラヤ復権はなるか―ホンジュラス

921日の月曜日、3カ月近く前に追放されていたセラヤ大統領が陸路、帰国した。丁度国連総会で世界中からニューヨークに首脳が集まる時期を選んだかのような動きだ。暴力の応酬を恐れる米政府は、帰国を思い止まるように言ってきたそうだが、そのニューヨークでは彼の帰国後、ヒラリー・クリントン米国務長官がアリアス・コスタリカ大統領ともども記者団に対し、セラヤ、ミチェレッティいずれも攻撃的な行動を慎むよう訴え、セラヤをテグシガルパの大使館に保護しているブラジルのルラ大統領は、治外法権を有する大使館への攻撃を強く牽制する。ミチェレッティ暫定大統領は、セラヤが帰国すれば逮捕、を言明していたが、ブラジル大使館にずっといつのなら構わない、但し一切の政治行動は厳禁だ、と主張する。国内のセラヤ支持者らはブラジル大使館の前で気勢を挙げ、治安部隊に催涙弾などで排除される、という事態も見られ、大使館は一時、水道、ガス、電気すら供給を止められ食料も無かったそうだ。

そもそも、セラヤ追放はクーデターに相当する、として、国際社会は暫定政権に対しセラヤ復権を強く呼びかけてきた。ノーベル平和賞受賞者のアリアス大統領は、一時期、新型インフルエンザに罹患し隔離されるなど災難に遭いつつも、暫定政権にも受け容れ易いように、セラヤ大統領には再選への憲法改正を求めさせず、また権限も縮小させる、という最終調停案まで提示していた。米州機構(OAS)が支持した。勿論米国も支持した。米国はソト・カノ基地からの米軍撤収こそしていないが、ホンジュラス援助を凍結し、同国幹部に対する入国査証も無効化した。EUも援助を停止した。これでセラヤ復権を促してきた。だが暫定政権は、セラヤが最高裁判所の判断で違法行為を理由に追放された以上、復権は絶対に有り得ず、との立場を頑強に守ってきた。つまり、アリアス調停案は宙に浮いたままの状態である。一方で、本年1129日の大統領選に向けた選挙運動が始まった。国際的に承認されない暫定政権下では、ここで誰が選ばれようとも承認は受けられない。暫定政権下のホンジュラスはつまり、国際的には完全孤立状態で隘路に入り込んでしまっていた。そこに彼が強行帰国を断行した。

800万人に満たない人口、GDP140億㌦と、ニカラグアとボリビアに次ぐ低さ、歴史的にはグァテマラやニカラグア、そして米国の介入を受け続けてきた小国。ホームページの「ラ米の政権地図」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C3_1.htm#1でも述べたが、現在、この国では大統領には終生一度しかなれない。メキシコ、パラグアイ、グァテマラも同様だが、その元になる歴史的反省の中身は相当に違う。メキシコには35年間に亘るディアス時代(1876-1911年)がある。パラグアイには建国以来57年間を僅か3人が支配した上にやはり35年に亘るストロエスネル時代(1954-89年)がある。グァテマラでも独裁は繰り返された(建国後の28年間、1870年からの15年間、1898年からの22年間、1931年からの13年間)。ホンジュラスも、独裁者は確かに何人か出た。しかし他3ヵ国とはその度合いが違う。連続再選の道もあるドミニカ共和国(トルヒーヨ支配を経験)、非連続再選可能なニカラグア(ソモサ支配を経験)などよりもインパクトは小さい。終生一度しか政権に就けないことの是非を問いたい、と改憲への国民投票の実施を図れば、最高裁が違憲を理由に逮捕を命じ、具体的には軍が武器を持って大統領を拉致し国外に放出したことを正当化する暫定政権。ちょっと理解し難い。

セラヤも国際社会の呼び掛けに応じ、アリアス調停に署名する意向を表明している。ミチェレッティは、これまでセラヤ復帰を断固阻止する旨繰り返してきたのに、帰国したら、アリアス調停自体が無効、と主張し始めた。国際社会は全て、話し合いによる平和的解決を呼び掛け、セラヤもミチェレッティとの話し合いに応じる用意も表明しているが、後者にはその気は無い。アリアスが仲介役としてテグシガルパに駆けつける、と言うのに、これにも応じない。長年に亘りホンジュラスの保護役を務めてきたかの米国が、中道左派の自由党から大統領になったセラヤがカストロ兄弟との交誼を深め、チャベスと親密で、彼が主催するALBA米州人民ボリーバル代替統合機構)に加盟したことには失望していように、彼を擁護している中で、だ。ルラ大統領も、米国務省も、ホンジュラス問題に関わる安保理開催を要請した。その決議がアリアス調停の順守、となって、果たしてミチェレッティを従わせることが可能だろうか。イラクの故フセイン大統領や北朝鮮の金総書記と同じく、頑なに決議に背き、最悪の事態さえも惹き起こす積りなのか。そもそもミチェレッティの対応にホンジュラス国民の世論はどうなのだろうか。

最後に米国の対応について一言。ラ米で悪評高い米国の対ラ米介入の歴史に見るまでもなく、近年では1980年代の中米危機で、米国はホンジュラスのソト・カノ基地を使い、ニカラグアの反革命(コントラ)支援、及びエルサルバドル政府軍によるFMLN制圧支援に当たった(ホームページ「ラ米と米国」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C12_1.htm#5参照)。当時も現在同様、民主的に成立した政権を支持する、というのが基本的な立場だが、当時のニカラグア革命政府は当初米国も支持していた。だが、ソモサ派武装組織の拠点を、民政移管期にあったホンジュラスに置かせ、これをCIAが訓練し政府転覆のゲリラ活動を支援する。これは選挙で成立した第二次オルテガ政権でも変わらなかった。一方、支援するエルサルバドル政府は、ホンジュラス同様、民政移管期にあった。ニカラグア政府とエルサルバドル反政府ゲリラにキューバの支援がある、との理由付けが為されていた。まだ東西冷戦時代にあり、ラ米にキューバ的なものは容認できなかった時代背景はある。それでも、今回の対応は、ラ米を見つめる一人として、大きな変化を感じずにはおれない。

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