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2009年9月16日 (水)

チリ大統領選挙を前に

20091213日に行われるチリ大統領選(決選投票は翌117日)の主要候補が出揃った。現政権の与党連合(Concertación de Partidos por la Democracia民主諸党連合)候補のフレイ元大統領(67歳)が野党連合(Alianza por Chileチリのための同盟)候補のピニェラ(選挙時60歳)上院議員に支持率で後れをとっているが、台風の目となっているのが独立候補のマルコ・エンリケス下院議員(36歳)だ。ピノチェト体制により拷問の上殺害された元左翼革命運動(MIR)ミゲル・エンリケス(1944-74)書記長の息として知られる。その意味ではバチェレ大統領との共通性が見える。バチェレの父親がアジェンデに忠実な空軍将校で、殺害された時彼女自身が既に大学生(医学生)だったこと(マルコは父殺害時、生まれて間もなかった)など相違点は多いが。母親の再婚相手でやはりMIRの活動家だったオミナミ現上院議員は、19739月のクーデター後フランスに亡命している。そのため、マルコ自身も幼少の時代は同国で過ごした。バチェレも亡命生活を送ったが、20歳をとっくに過ぎてから、である。

養父は帰国後暫くエコノミストとして活躍、1993年、40歳で最初の与党連合エイルウィン政権で経済相を務め、その後社会党の上院議員となった。マルコ自身は映画界で政治ドキュメンタリーものを手がけてきたようだ。2006年、やはり社会党から下院議員になった。だが096月、養父と相前後して離党している。MIR創設者で、短い悲劇的な最後を遂げた活動家の息、マルコ、そして往年のMIR活動家の彼の養父いずれも、現在その一員、とは聞かない。MIR自身も与党連合を支持していない。

MIRのホームページを開くと、トゥパマロス(ウルグアイ)、FSLN(ニカラグア)、FMLN(エルサルバドル)、キューバの動静をよく伝えている。MAS(ボリビア)も同様だ。トゥパマロスについては、往年の闘士、ムヒカが次期大統領選の与党候補だ。このブログでもお伝えしたように、8月、バチェレを訪問した。MASでは、太平洋戦争(1879-84)の結果ボリビアがチリに太平洋沿岸部領土を譲渡したため失った太平洋への出口を確保する長年の二国間懸案事項があり、漸くモラレスとバチェレ両政権間で真摯な協議が煮詰めの段階にある。キューバについては、バチェレの前任者のラゴスは人権問題を理由に距離を置いた。だがバチェレはキューバを訪問し、カストロ兄弟との親交を深めた。だが、MIRがこれらを橋渡ししたわけではなかろう。

MIRはフレイの父でキリスト教民主党(PDC)を創設した政治実力者、フレイ・モンタルバ政権期の1965年に、コンセプシオン大学医学部の学生、ミゲルが主導して、左翼思想の学生運動家らにより、反体制組織として結成された。だから、PDCは打倒すべき体制側にあった。過激派労働組合や、都市の貧民街に支持を広げたことは知られるが、実は、PDC政権時代の活動については私にはよく分からない。結成5年後成立した人民連合(UP)のアジェンデ政権とは距離を置いた。UPの主要構成員たるチリ共産党とは思想的に相容れなかった。UPの政策が生ぬるい、との批判は浴びせながらも、しかしアジェンデ政権期に特段の反政府活動は行っていない。

MIRと言えば、ボリビアで1982年の民政移管後三代目の政権を担ったパス・サモラの党でもある。ペルーではトゥパク・アマルー革命運動(MRTA)の前身でもある。前者は、1952年のボリビア革命を率いた国民革命運動(MNR)の左派グループが71年に独立して創設した政治組織で、後者はアプラ党左派グループが62年に立ち上げたゲリラ組織だ。チリのMIRも左翼ゲリラの一つとされており、クーデター後のピノチェト軍政から抹殺の標的にされた。1990年代まで武装解除はしなかった、ともいわれる。

とまれ、12月の大統領選に関して、世論調査で過去一年近く、ピニェラ候補がフレイ候補を数ポイント(最近では二桁)差で優勢だ。6月以降、マルコも二桁の支持率で推移している。どうもフレイ分を浸蝕しているきらいがある。だが、決選投票に持ち込まれても、差は縮まるものの、ピニェラ優勢の見通しは変わらない。相手がマルコになった場合でも同様だが、フレイの場合と比べ大差無い。

フレイは67歳にもなってまた大統領になる気でいる。父親は確かにPDCを創設し、そこから大統領になった行動力、指導力、カリスマ性を備えた人だ。それでも、ピノチェト軍政があったにせよ、一度しか大統領になれなかった。二度もなれたのは、連続再選が自動的に認められた建国期の3人と、大統領権限を著しく弱めたいわゆる「議会共和国」(1891-1925)を打破した改革者、アレッサンドリくらいだ。確かにチリでは名門家から大統領になる人が多い。そのアレッサンドリも息が大統領に就いた。他でもエラスリス、モント両家が複数の大統領を出している。それでも、フレイ家の二代目が、名政治家アレッサンドリと同じく二回も務めるのを、民意として認められようか。

政界の活動歴もまだ4年にもならず、厚相や国防相を歴任したバチェレとは比べられない。それでも二桁の支持率を得、しかも若し決選投票に臨めればピニェラ優勢ではあれフレイ並みの得票、という見通しだというから、大したものだ。世代交代を望む故なのか、実父ミゲルの人気の高さか。

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