バチェレの選択-チリ
去る8月18日、本年10月に行われるウルグアイ大統領選の与党拡大戦線候補、ムヒカ(74歳)前農畜産漁業相がチリを訪問、バチェレ大統領と会談した。彼は都市型ゲリラとして有名だったトゥパマロスの指導者、れっきとした元戦士だ。トゥパマロスはもともとウルグアイ社会党の分派でもあった。ウルグアイが1973年6月から事実上の軍政に入り、ゲリラ活動家は逮捕、拷問、亡命の憂き目にあった。1933年、チリ社会党創設に参加し、後に民主的手段による社会主義政権を樹立したことで世界を注目させたアジェンデ元大統領(在任1970-73年)を、1973年9月11日にクーデターで自決に追い込んだピノチェト将軍による軍政初期に投獄され拷問を受け亡命したバチェレには親近感を覚えるようだ。ラテンアメリカ史上、選挙で大統領になった女性4名の中で、著名な政治家夫人乃至未亡人でないのは彼女だけだ。
実はバチェレは現実政治の中ではアジェンデを結びつけにくい。彼の人民連合政権に支柱の一つとして参加していた共産党は、連立相手にはいない。親米だしピノチェト軍政時代の新自由主義経済政策を踏襲する(ホームページ「ラ米の政権地図」のアンデス諸国http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C3_1.htm#3を参照)。ウルグアイの現拡大戦線政権がタバレ・バスケス大統領からムヒカに継承されるとすれば、イメージとしてはより「左傾化」する。だが、バチェレの選択は、67歳のキリスト教民主党(PDC)、フレイ・ルイスタグレ元大統領だ。イメージとしては「右傾化」だろう。
チリでは、1922年に創設された共産党が何度か政権に参加した実績がある。38年12月に十九世紀創設の伝統政党、急進党と社共両党が連立して発足した人民戦線、70年11月からの人民連合がそうだ。48年2月、当時のラ米全体の動きと足並みを揃えた動きだが、非合法化された。その前月まで、政権与党だった。だが非合法期間は10年のみで、その後再び社会党と組んで人民連合に発展させ、改めて急進党をも引き入れ、アジェンデ政権樹立に繋げた。
現在のチリ国会の下院議席数(合計120)でみると、バチェレの社会党議席数は15だ。なるほど、党の分家とも言える民主主義党(PPD。1987年にラゴス前大統領ら党右派が結成。社会党と連立)の21を加えれば、社会党「系」は議会第一党に相当する36議席にはなる。急進社会民主党(PRS。急進党の後継)も連立相手だが、議席数は7、共産党は今や議席はゼロだ。これでは政権は取れない。そこで手を組むのが、人民連合のライバルだった中道のPDC(20議席)となる。アジェンデの前任者で、フレイ・ルイスタグレの父、フレイ・モンタルバ元大統領(在任1964-70)が1957年に結成した政党で、1970年選挙では決選投票でアジェンデを支持した。それでもクーデター前にアジェンデを不信任とした。
チリの現与党は、「コンセルタシオン(Concertación。民主主義のための政党連合、ほどの意味)」と呼び表わされる。議席数で上記4党など計65、過半数を占める。1988年10月、ピノチェト大統領任期を1997年まで延長することの是非を問う国民投票が、国際監視団の中で行われ、反対票が過半数を占めた。この結果彼は大統領としては退陣(国軍最高司令官としては97年まで残留)、翌年12月の民政移管に繋がった。その前に結成された(彼の任期延長に)「ノーを突き付ける国民連合(Concertación por el NO)」による運動が奏功した、といえるが、中心となったのがPDCだった。社会党も分裂しながらも、PRSと共にこれに参加した。
これに対するのは独立民主同盟(UDI。議席数33で単一政党としては第一党)と国民革新党(RN。同19議席。十九世紀創設の伝統政党、自由党と保守党が1966年に合併した国民党が前身)などで構成する「チリのための同盟」で、中道右派、乃至は右派と位置付けられる。議席数では54、政権交代の期待は抱かせるに十分な数だ。
1989年12月の民政移管後、コンセルタシオン政権が続く。エイルウィン、フレイ・ルイスタグレと二代続けて、2000年までPDCから大統領が出た。次に社会党との二重党籍を持つPPDのラゴス、バチェレと代わってきた。ラゴス政権下、女性ながら国防相を務めた。政治姿勢には安定感があるのだろうか、また、一人当たりのGDPではアルゼンチンやウルグアイを押さえラテンアメリカで第一位、経済政策も上手くいっている。過去1年半、南米諸国連合(UNASUR)議長として、左派はベネズエラやボリビア、右派はコロンビアまでをよく纏めた。
彼女への国民支持率は、3月頃で60%だった。これが最近40%ほどに落ち込んできてはいるが、政権末期としては高いのではなかろうか。この支持率をそのままコンセルタシオンが享受でき、同枠組みで政権が継続されるのかどうか。今のところ野党RNのピニェラ候補(60歳)の方が優勢、という。テレビ局のオーナーで、大富豪の彼は2005年大統領選でバチェレに敗退した。1988年の国民投票ではNOを投じている。
最後に新型インフルエンザH1N1への彼女の対応についても述べておきたい。チリの直近の感染確認者は1.2万人、これに比べてアルゼンチンは7千人、ブラジルが3千人、と報告されている。一方死亡者は夫々128人、439人、368人でチリの感染確認数に対する割合が圧倒的に低い。かなり愚直に、且つ真摯にこの問題に向き合っていることが分かる。彼女は6月末、WHOからH1NIへの対応について高い評価を得たメキシコに飛び、協力を取り付ける、素早い対応ぶりも見せていた。
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