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2009年7月 9日 (木)

二つの中間選挙:アルゼンチンとメキシコ

アルゼンチン(628日)とメキシコ(75日)で中間選挙が行われた。前者では下院議員の約半数と上院議員の3分の1が、後者では下院議員の全員が対象だ。両国とも、与党が敗北した(以下、各国の政権と大統領については私のホームページから「ラ米の政権地図」の「政権一覧」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C3_1.htm#1)をご参照願いたい)。

メキシコとアルゼンチンは中南米で第二、三位の経済大国同士で、合わせると中南米イベロアメリカ十九ヵ国のGDPの三分の一、ブラジルを除くイスパノアメリカ十八ヵ国の55%を占める。The World FactBook 09年によれば、購買力平価ベースの08年の一人当たりGDPはともに14,200ドル、いずれも工業国だが、NAFTAを介して米国との分業体制にあるメキシコと、メルコスルを介して中南米域内最大の経済規模を誇るブラジルと一体的位置にあるアルゼンチンは、経済構造面での性格に違いが感じられる。一般的にアルゼンチンの方が先進国とのイメージが強い。

メキシコでは前回の2003年中間選挙でも野党PRI45%の議席数を確保、与党PAN30%と、15ポイントも議席を減らした。それでも2006年総選挙でPAN41%の議席を得て第一党を回復、僅差ではあったがカルデロン現政権を成立させた。この政権発足後3年弱で、麻薬組織絡みの死傷者は1.2万人に達した。4万人もの軍隊動員を含む強硬策と、米国政府からの支援、またオバマ政権発足後には米国からの武器密輸取締りの言質を引き出す外交上の成果は、国民には好意的に受け止められた。それでも敗北したのは、警察組織の一部と麻薬組織との癒着関係が次々と発覚したこと、米国の経済不況連鎖、そしてやはり新型インフルエンザの感染拡大と死亡者数の多さが影響したのだろう。

WHO76日集計表によれば、メキシコは感染確認数で1,0262名、米国の33,902名に次ぐ世界第二位、死亡者数も119名でやはり米国に次ぐ第二位だ。だが、メキシコでは新たな死亡者がほとんど止まり、政府の対応振りが6月末のWHO会合で高い評価を得た。感染者数7,326名と、カナダと世界第三位を争うチリのバチェレ大統領が中間選挙の直前、わざわざ訪問の上、この問題に関する連携を言明したのは、今やメキシコは頼り甲斐すら出ていることを示す。だが、選挙時点での国民には、そこまでは浸透していなかった。

3年後の総選挙で、前回同様、与党の挽回を演じるか、それとも政党としては前身結成から2000年までの71年間、連続して政権を担ったPRIの与党返り咲き成るか、注目される。

アルゼンチンは歴史的二大政党、ペロン党と急進党が分裂しており、政界地図を読むのは難しい。またメキシコは大統領の再選を禁じるだけに、政党そのものが果たす役割が非常に大きいのに対して、それを認めるアルゼンチンでは、個人の動向が注目される。だから単純な対比は控えたい。

ペロン党左派FPV(勝利のための戦線)を中心とした現与党勢力は、前回2005年中間選挙で過半数を確保し、この勢いを維持し2007年の総選挙でのフェルナンデス勝利に繋がった。彼女の夫、キルチネル前大統領は、ペロン党首として彼女を支える立場に移った。結果的に今回選挙で敗北した。そして党首として引責辞任に至った。敗北とは言え、与党勢力の議席数は相変わらず第一位だ。

フェルナンデス政権は、2008年の世界的食料価格の高騰の折り、輸出税引き上げを巡って生産者の強硬な抵抗を受け、食糧大国でありながら国内で食料供給不足に陥る事態まで惹き起こした。この国の中間選挙は10月に行われるのに、敢えて6月に前倒しした背景として記憶したい。要するに、政権の信任投票の性格もあった。だが、安定多数を誇った与党勢力は、選挙結果過半数を割り込んだ。このこと自体が敗北になる。選挙のタイミングも悪過ぎた。

アルゼンチンの感染者確認数は、メキシコと同じWHO集計表によれば2,485名、世界の第七位、南半球ではこの三倍のチリ、同二倍のオーストラリアをずっと下回っている。ところが死亡者は60名で、夫々その4分の16分の1だから、アルゼンチンの死亡率は異常に高い。メキシコでは新たな死亡者がほとんど止まっているのに比べ、アルゼンチンは、今、うなぎ上りに増えている。衛生当局の感染確認が追い着いていない証左とも言えまいか。保健衛生相も交代したが、前任者の辞任による。中間選挙の最終結果公表が遅れているが、新型インフルエンザで国民に不安が高まっていることも影響しているようだ。

フェルナンデスは、夫が次回選挙出馬を断念した、との憶測が広がり、その結果としてレームダックに陥った、と囃す向きがある。だが彼女は意気軒昂だ。野党勢力は連合しない限り、与党勢力には立ち向えない。

ホンジュラスの政変に関し、フェルナンデスはセラヤ大統領が国連総会を経て国際的な信認を得た上での強行帰国に際し、コレア(エクアドル)、ルゴ(パラグアイ)両大統領とインスルサOAS事務局長と共に、別便で同行するひとりとなった。暫定政権側に拒まれ、全員、この6月に発足したばかりのフネス政権下のエルサルバドルに集合した。セラヤはサンサルバドルからワシントンに飛び、ヒラリー・クリントンと相談し、結果としてアリアス(コスタリカ)大統領を調停役に選び、サンホセでホンジュラス危機に関る協議が行われることになった。

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