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2009年6月 4日 (木)

OASキューバ除名の終焉

陰の主役としてのキューバの存在をクローズアップさせた4月の第五回米州サミットから2ヵ月。ホンジュラスのサンペドロスーラで開催された第39OAS(米州機構)外相会議で、同国セラヤ大統領が準備したキューバ除名措置撤廃案の決議が行われた。同大統領は、「東西冷戦がこの日、この地で終わった。友愛と寛容の時代が始まった」とのコメントを発している。米国のヒラリー・クリントン国務長官は、時間的制約で決議案に投票できないまま次の訪問国、エジプトに向っていた。彼女はキューバのOAS復帰には「民主化と政治犯釈放が前提」、と譲らなかったので、満場一致を原則とする決議の行方が案じられていたが、結果的に押し切られた格好だ。

彼女の当初の姿勢には、1960年代から80年代にかけて、中南米は軍政諸国が大半を占め、民主主義とは対極にあっても、人権侵害で国際的な非難を浴びても、どこもOASから追放されなかったではないか、との、他メンバー諸国からの反論があった。オバマ政権下の米国は、この自己矛盾に気付いたのだろう。会議に先駆けて、ベネズエラのチャベス大統領がキューバとの連帯強化のためのOAS脱退を仄めかし、エクアドルのコレア大統領はキューバを除外した米州の組織はあり得ない、としてOASの終焉に言及していた。OAS外相会議直前には、エルサルバドルのフネス大統領が就任式直後にキューバとの国交回復を実現し、米州諸国で断交しているのは米国だけとなっていた。

19483月、ボゴタで開催された第9回汎米会議で生まれたOAS。憲章採択前に、コロンビア自由党首、ガイタンが暗殺された(政治的な背景は無かった、とされる。私のホームページ「ラ米のポピュリズム」の「第二次大戦後のポプリスタ」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C9_1.htm#5を参照)。この時ハバナ大学の学生だったカストロがコロンビアに来ており、ガイタンの大衆動員力に驚き、悲惨な最期に強い衝撃を受けたことが知られる。その後、コロンビアは「ビオレンシア(暴力の時代)」に突入し、15年間で20万人と言われる犠牲者を出した。これが平定された後の反乱勢力の生き残りが、それより45年も過ぎた現在なお活動するゲリラ、FARCを結成している。

19621月、ウルグアイのプンタデルエステで開催された第8OAS外相会議は、キューバ除名を決議した。前614月に亡命キューバ人が引き起こした「ピッグス湾事件」を、米国のCIAと基地を供与した軍政下のグァテマラ、及びソモサ独裁下のニカラグアが支援したのは、有名な事実だ。米国の国務省は事件直前、キューバがソ連衛星圏にある、と決め付けていた。事件(革命政権転覆を図るキューバ本土への武力侵攻)は失敗した。カストロが社会主義宣言をしたのは、この事件の後だ。東西冷戦の最中である。米国の足元、米州は、自由主義の橋頭堡であらねばならない。共産主義国家が米州にあってはならない、との論理が、自らが追い詰めた点に眼をつぶり、キューバ追放に動いた。オバマ大統領が尊敬するケネディの政権下だった。

キューバ除名後の196210月、核戦争に繋がりかねないとして世界を震撼させた「ミサイル危機」が起きた。これは米ソの交渉で解決したが、翌年になるとカストロが訪ソし、ソ連との長期貿易協定などを通じて対ソ関係が強化された。一方で、中南米各地で、左翼ゲリラが活発化する。19648月、カラカスで開催された第9OAS外相会議が対キューバ経済制裁を決議、キューバは米州内孤立時代に入り込んだ(メキシコのみが国交を維持した)。

キューバの孤立時代は、実は以外に短かった。1970年、アジェンデ社会主義政権がチリに発足して、先ずチリが、その2年前にベラスコ軍政が成立していたペルーが72年に、一時的に民政移管を見ていたペロン党政権下のアルゼンチンが73年に、パナマとベネズエラが74年にキューバと復交を果たした。そしてコロンビアも復交に踏み切って直ぐの757月、第16OAS外相会議は対キューバ制裁終了を決議した。ただ、OAS復帰は認めていない。米国も米企業第三国の子会社による対キューバ取引を認め、771月にカーター政権が発足してから、国交再開こそ無くとも利益代表部の相互設置、漁業協定締結、在米キューバ人による家族送金承認、そして里帰り承認、と雪解けが一気に進んだ。しかしこれも長くは続かず、特に80年代末からの東欧民主化、ソ連崩壊の流れの中でキューバが経済的に困窮の極みに立たされた時、米国は制裁を強化し、80年代の対外債務危機を経験した他中南米諸国は地域経済統合に忙しくなり、OASは何もできなかった。

二十一世紀に入り、中南米に左派、中道左派政権が続々と誕生する。右派政権を含め全体として米国依存度を意識して低める動きが進んだ。キューバは中南米諸国との関係強化には積極的に取り組んできたが、米国が主導するOASには距離を置いた。正確には、OASがキューバを疎外した、といった方が良い。1994年からの米州サミットにも呼ばれない。

OASがキューバの復帰を認めた。次は、キューバが復帰する意志の有無が問題となる。復帰すれば、OASの中で対米折衝も可能。となる。今回の決議に米国が賛成したのは、キューバ自身、復帰しないから、との読みがあるから、という意地の悪い見方もある。注目したい。

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