コロン政権の危機:グァテマラ
去る5月10 日に起きたローゼンバーグ弁護士暗殺事件が、グァテマラのコロン政権を揺るがしている。自分が暗殺されたら、それは大統領の指示による、という内容の20分間のビデオを彼が生前撮っていたが、これがインターネット上で流れたことによる。4月のムサというビジネスマンとその娘が暗殺された事件が起きたが、彼が大統領夫人の「違法取引に関る資金洗浄」を断ったためで、自分が彼の弁護士であることで、暗殺の手は自分にも伸びている、という内容だ。大統領は全面否定の上、「グァテマラ無処罰対策国際委員会」と呼ばれる国連機関と米国FBIに真相究明の捜査を委ね、捜査中だが、大統領の辞任を求めるデモが続いている。
昨年1月に就任したコロン大統領は、私のホームページの中の「ラ米の政権地図」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/CI3.htm)を参照願いたいが、1954年にアルマス将軍のクーデターで追放されたアルベンス(1913-71)元大統領の後継を自認する。欧米のメディアは、コロンをグァテマラで半世紀ぶりに誕生した左派系大統領、と紹介した上でこの事件を報じているようだ。今後の進展は見守るしかないが、コロン政権誕生の背景をなぞっておこう。
メキシコのユカタンから連なるマヤ文明の地の一角にあるグァテマラ。人口は約1,300万人(CIA World Fact Book 2008年推計、以下CIA)だが、ラテンアメリカの中米・カリブ諸国の中では最大だ。GDPは、IMFによれば07年実績で340億㌦、IMFから外されているキューバを除けば、ドミニカ共和国に次ぐ規模である。一方で、CIAによれば15歳以上の国民識字率は70%と、中南米ではニカラグアと並び、飛び抜けて低い。また人口の約40%がマヤ系を始めとする先住民であり、スペイン語を母国語とするのは60%、としている。
事実上の建国から1944年までの107年間で、カレラ(1814-65)が27年、ルフィノ・バリオス(1835-88)が12年、エストラダ(1857-1923)が22年、ウビコ(1878-1946)が13年、と、この4人だけで計74年間の政権を担った。1944年に起きたゼネストと、アルベンスも参加した若手将校らによるクーデターで、ウビコ独裁の終焉をみた(グァテマラ革命、とも呼ばれる)。同年末、グァテマラ史上初めてと言われる民主的な大統領選が行われ、著名な学者のアレバロ(1904-90)が選出され、6年間の任期を全うした。50年末に行われた選挙では、彼の政権で国防相を務めたアルベンスが60%の得票で選出された。ところが彼は54年6月のクーデターで追放される(ホームページ「ラ米と米国」の「東西冷戦初期」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C12_1.htm#4を参照)。グァテマラ革命からのこれまでを「10年間のグァテマラの春」と呼ぶ人もいる。以後、またしても強権政治の時代に入った。
1960年11月に反乱を起こしたアルベンス派将校の生き残りが、62年2月、MR13というゲリラを立ち上げた(ホームページの「ラ米の軍部―軍政時代を経て」の「ゲリラ戦争」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C10_1.htm#4参照)。30年以上に及ぶグァテマラ内戦の幕開けとなる。内戦自体が正式に終了したのは国民進歩党(PAN)アルスー政権(1996-2000年)がURNG(グァテマラ国民革命連合。上記MR13を含む左翼ゲリラが統合されたもの)と包括和平協定を締結した96年12月のことだ。内戦で出た犠牲者は20万人にも上る、とされる。
コロンがアルベンス後継を自認するのは、その左翼ゲリラの流れではない。政党組織としてURNGは、UNE(国民希望同盟)とは一線を画している。アルベンス政権が実行し米国を怒らせた農地改革は、要するに国民の富の再分配を考えたものだ。農民は先住民に多い。また先住民は特に貧しい。彼らの生活の底上げが基本にある。コロンが進める政策もこの流れにあり、貧困層への児童補助金支給などが実施されている。従って支持基盤は先住民、とされる。経済運営は資本主義が前提で、外交も親米路線と採ることでは、従来の政権と何ら変わらない。だが、それらを支えてきた政治勢力には、左派政権、としか映るまい。事実、彼の退陣を求めるデモ参加者の殆どが中間層以上の階層であり、これに対して大統領支持派のデモも繰り広げられているが、こちらの参加者には貧困層が多い。フジモリ自主クーデターの時の1992年のペルーに似ている。
グァテマラは政党政治が根付いていないようだ。様々な政党が離合集散を繰り返してきた。現在第三党の愛国党(PP)、第四党のグァテマラ共和連合(FRG。2000-04の政権党)は退役軍人が結成した。そのPPの創設者が、2007年選挙でコロンと競り合ったモリーナ退役将軍で、決戦投票では前政権党の大国民連盟(GANA)の支持を得た。概ね、右派政党、と見做される。上記アルスー政権の与党PANも同様だ。当時の最大政党だったPANは、現議会勢力としては全158議席に対して、僅か4議席の小党に凋落している。
UNEは、人口の4割が先住民のこの国では、比較的長く続くかな、と思ってはみるが、先ずは現政情の先行きが気になる。