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2009年5月18日 (月)

コロン政権の危機:グァテマラ

去る510 日に起きたローゼンバーグ弁護士暗殺事件が、グァテマラのコロン政権を揺るがしている。自分が暗殺されたら、それは大統領の指示による、という内容の20分間のビデオを彼が生前撮っていたが、これがインターネット上で流れたことによる。4月のムサというビジネスマンとその娘が暗殺された事件が起きたが、彼が大統領夫人の「違法取引に関る資金洗浄」を断ったためで、自分が彼の弁護士であることで、暗殺の手は自分にも伸びている、という内容だ。大統領は全面否定の上、「グァテマラ無処罰対策国際委員会」と呼ばれる国連機関と米国FBIに真相究明の捜査を委ね、捜査中だが、大統領の辞任を求めるデモが続いている。

昨年1月に就任したコロン大統領は、私のホームページの中の「ラ米の政権地図」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/CI3.htm)を参照願いたいが、1954年にアルマス将軍のクーデターで追放されたアルベンス(1913-71)元大統領の後継を自認する。欧米のメディアは、コロンをグァテマラで半世紀ぶりに誕生した左派系大統領、と紹介した上でこの事件を報じているようだ。今後の進展は見守るしかないが、コロン政権誕生の背景をなぞっておこう。

メキシコのユカタンから連なるマヤ文明の地の一角にあるグァテマラ。人口は約1,300万人(CIA World Fact Book 2008年推計、以下CIA)だが、ラテンアメリカの中米・カリブ諸国の中では最大だ。GDPは、IMFによれば07年実績で340億㌦、IMFから外されているキューバを除けば、ドミニカ共和国に次ぐ規模である。一方で、CIAによれば15歳以上の国民識字率は70%と、中南米ではニカラグアと並び、飛び抜けて低い。また人口の約40%がマヤ系を始めとする先住民であり、スペイン語を母国語とするのは60%、としている。

事実上の建国から1944年までの107年間で、カレラ(1814-65)が27年、ルフィノ・バリオス(1835-88)が12年、エストラダ(1857-1923)が22年、ウビコ(1878-1946)が13年、と、この4人だけで計74年間の政権を担った。1944年に起きたゼネストと、アルベンスも参加した若手将校らによるクーデターで、ウビコ独裁の終焉をみた(グァテマラ革命、とも呼ばれる)。同年末、グァテマラ史上初めてと言われる民主的な大統領選が行われ、著名な学者のアレバロ(1904-90)が選出され、6年間の任期を全うした。50年末に行われた選挙では、彼の政権で国防相を務めたアルベンスが60%の得票で選出された。ところが彼は546月のクーデターで追放される(ホームページ「ラ米と米国」の「東西冷戦初期」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C12_1.htm#4を参照)。グァテマラ革命からのこれまでを「10年間のグァテマラの春」と呼ぶ人もいる。以後、またしても強権政治の時代に入った。

196011月に反乱を起こしたアルベンス派将校の生き残りが、622月、MR13というゲリラを立ち上げた(ホームページの「ラ米の軍部―軍政時代を経て」の「ゲリラ戦争」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C10_1.htm#4参照)。30年以上に及ぶグァテマラ内戦の幕開けとなる。内戦自体が正式に終了したのは国民進歩党(PAN)アルスー政権(1996-2000年)がURNG(グァテマラ国民革命連合。上記MR13を含む左翼ゲリラが統合されたもの)と包括和平協定を締結した9612月のことだ。内戦で出た犠牲者は20万人にも上る、とされる。

コロンがアルベンス後継を自認するのは、その左翼ゲリラの流れではない。政党組織としてURNGは、UNE(国民希望同盟)とは一線を画している。アルベンス政権が実行し米国を怒らせた農地改革は、要するに国民の富の再分配を考えたものだ。農民は先住民に多い。また先住民は特に貧しい。彼らの生活の底上げが基本にある。コロンが進める政策もこの流れにあり、貧困層への児童補助金支給などが実施されている。従って支持基盤は先住民、とされる。経済運営は資本主義が前提で、外交も親米路線と採ることでは、従来の政権と何ら変わらない。だが、それらを支えてきた政治勢力には、左派政権、としか映るまい。事実、彼の退陣を求めるデモ参加者の殆どが中間層以上の階層であり、これに対して大統領支持派のデモも繰り広げられているが、こちらの参加者には貧困層が多い。フジモリ自主クーデターの時の1992年のペルーに似ている。

グァテマラは政党政治が根付いていないようだ。様々な政党が離合集散を繰り返してきた。現在第三党の愛国党(PP)、第四党のグァテマラ共和連合(FRG2000-04の政権党)は退役軍人が結成した。そのPPの創設者が、2007年選挙でコロンと競り合ったモリーナ退役将軍で、決戦投票では前政権党の大国民連盟(GANA)の支持を得た。概ね、右派政党、と見做される。上記アルスー政権の与党PANも同様だ。当時の最大政党だったPANは、現議会勢力としては全158議席に対して、僅か4議席の小党に凋落している。

UNEは、人口の4割が先住民のこの国では、比較的長く続くかな、と思ってはみるが、先ずは現政情の先行きが気になる。

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2009年5月13日 (水)

2009年パナマ総選挙

去る53日に行われたパナマ総選挙で、大統領選は野党連合の「変革のための同盟」から出馬した民主改革党(CD)党首のリカルド・マルティネッリ(56歳)が、与党民主革命党(PRD)のバルビナ・エレラ(55歳)を押さえて勝利した。議会でも88%の開票率の段階で、野党連合は37議席を確保済みだから、全71議席からみて、既に過半数を超えている。マルティネッリは2004年にも出馬したが、得票率5%台で第四位に終っていた。今回は;

l       自党の躍進。現有3議席が、既に12議席を確保済み

l       最大野党、パナメニスタ党(前アルヌルフィスタ党)と共闘。同党も現有の16議席から、既に3議席増

l       前回ギイェルモ・エンダラ元大統領を担いだ連帯党が野党連合に参加、彼自身は新党を結成して立候補したが得票率は僅か2%(前回31%)。

の要因が絡み合い、結局、60%という驚異的な得票だった。2004年の大統領選で、トリホスの得票率は47%、その後継者のエレラは38%、普通ならもう一息、或いは決選投票、の水準だろう。

人口では中南米最小、面積でも三番目に小さい国のパナマだが、運河と自由港、便宜置籍船で、我が国では中南米の中でも関心が高い国の一つだろう。190311月に、米国の後押しによりコロンビアから独立、米国が翌年のパナマ運河建設開始を含め、運河権益を得た。運河を挟んだ片側8km、計16kmの、いわゆる運河地帯は米国による治外法権下に置かれた。独立後半世紀間、軍組織は持たず国防は米軍の抑止力に依存した。運河地帯に置かれた米軍南方総司令本部には、米州諸国の軍人養成のための「米州学校(The School of the Americas)」が事実上1946年から84年まで置かれた。通貨バルボアはあっても、早くから米㌦が恰も自国通貨のごとく流通してきた。

1930年、国軍がまだ無かったこの国で武力クーデターを起こしたアルヌルフォ・アリアス、1968年、軍事クーデターを起こした国家警備隊(1953年創設)という国軍のオマル・トリホスがパナマ史上の二大指導者であり、いずれも強いナショナリズムで知られる。歴史的な背景から、米国に対する国民感情は複雑だ。1983年からノリエガ将軍による政治支配期があり、これを終らせたのは1989年末から90年初に掛けての米軍侵攻、及び同将軍の米国移送だった。その後、現在の民主体制が築かれたのも、また事実だ。

ノリエガ後、アリアスの流れを引く現パナメニスタ党、及びトリホスが創設したPRDの二大政党が、交互に政権を取ってきた。その初代政権を担ったのが、上記のエンダラで、現パナメニスタ党の創設メンバーの一人である。

200011日午前零時にパナマ運河が米国から返還された。この時の大統領は、トリホスによる68年のクーデターで追放されたアリアスの未亡人、ミレイヤ・モスコソ、勿論現パナメニスタ党政権だった。運河返還は、1977年、トリホス将軍が、カーター米大統領と取り交わした新運河条約に基づいたものだ。米国ではトリホスを独裁者と位置づける。それから4年半経って、彼女の後を継いだのが、彼の息でPRDのマルティン・トリホス現大統領である。

この二大政党の違いは、実はよく分からない。一般的にパナメニスタ党が右派、PRDが中道左派、と見做される(私のホームページの中の「ラ米の政権地図」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/CI3.htm)後参照)。しかし政権交代によって大きな政策変更があったか、といえば、ちょっと思い浮かばない。

現トリホス政権下、経済は順調に伸び、2008年のパナマのGDP9%の伸びを見せた。前年は11%だったのでスローダウンだ、なんて言えようか。金融危機から来た世界同時不況の中にあっての経済成長だ。なるほど、2009年には1乃至3%程度に落ち込むとは言われるが、上手く経済運営されている、とは言えまいか。彼の政権下の200610月、パナマにとり巨額投資であろう52億㌦もの運河拡張プロジェクトは、国民投票で決まった。これが愈々動き出そうとしている。何故、ここで政権交代が必要なのか、分からない。

通常左派系政権には右派系野党が対米関係の毀損を攻撃する。ところが、PRD自身、対米関係は大変に良好だ。通商振興協定(PTA)を結んだのも、米国当局との協力で世界最大級の麻薬押収が実現したのもPRD政権だ。

もう直ぐエルサルバドルの政権党が、元左翼ゲリラのファラブンド・マルティ解放戦線(FMLN)に交代する。ニカラグアの現政権与党はやはり元左翼ゲリラのサンディニスタ国民解放戦線(FSLN)であり、グァテマラでも半世紀ぶりに左派系の政権を見ているこの時代、コスタリカに続いて右派政権を誕生させるパナマ、というと、面白く響くかもしれない。

9月に発足するマルティネッリ政権。彼の民主変革党(CD)だけでみれば、議席数を大きく伸ばしたとは言え、議会第三党に過ぎない。それでも、パナメニスタを含む「変革のための同盟」としてみれば議会で過半数を占める。オバマ流に「変革」を掲げて、従来の政権交代とは異なる政権運営が始まるのだろうか。

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