エルサルバドル大統領選
本年早々このブログで「2009年のラテンアメリカ選挙」として採り上げた1つ、エルサルバドル大統領選が3月15日、予定通り行われ、FMLNから出馬したフネス氏が51%の得票で、現与党ARENAの候補、アビラ氏を押えて当選した。だが、1月に行われた議会選挙の結果、FMLNの国会議席数は35議席、増えてARENAから第一党の座を奪回したが全82議席からすれば42%だ。他に議席を持つ国民和解党、キリスト教民主党いずれも保守政党なので、政策面で大きく左傾化すれば少数与党になるのは確実だ。
フネス氏は選挙期間中、ブラジルのルラ大統領を持ち上げ、ベネズエラのチャベス大統領との連携については否定し続けた。夫人がブラジル人でルラ支持者ということもあろうが、犠牲者7万人を出した1980年代内戦の主役を演じた左翼ゲリラ、としてのイメージ払拭が国内的にも対米関係上も必要、との判断からだろう。FMLNは92年に内戦が終り政党化してから、国会議席数では89年より政権を担ってきたARENAと第一、二位を得てきた。大統領選は94年から候補者を出し続けてきたが、政権は遠かった。FMLN政権になると国が共産化し、対米好関係が崩壊し、経済は破綻する、と言われ続けた。
早々と米・中米・ドミニカ共和国自由貿易(CAFTA-DR)の遵守と2001年よりの米㌦を唯一の通貨とする政策の続行、など、対米好関係維持を宣言しており、またサカ現政権からの引継ぎも円滑に行う旨を約束した。
アグスティン・ファラブンド・マルティ(1893-1932)は1932年1月の農民蜂起を率い、当時のマルティネス・エルナンデス独裁政権(1931-44)により参加者の内1万人とも3万人ともいわれる犠牲者を出した、いわゆる「Matanza(虐殺)」事件の末に逮捕、処刑された労働運動指導者だ。思想的に共産主義者であり、それまでに何度も逮捕され、国外追放された経験を持つ。グァテマラ在住時代に中米社会党の設立に関り、その書記長にもなった。二歳年下の民族主義者、セサル・サンディーノ(1895-1934)が率いるニカラグアの反米ゲリラにも参加したが、思想の違いから脱退し帰国している。
それから40年近く経った。彼の名前は、当時のエルサルバドル共産党指導者の一人が脱党して1970年結成した左翼ゲリラ、FPL(人民解放軍。正式名称は、Fuerzas Populares de Liberación “Farabundo Martí”)の枕に着けられた。ニカラグアではサンディーノの名前を冠したFSLN(Frente Sandinista para la Liberaión Nacional)がその8年前よりゲリラ活動に入っていた。サンディーノ自身は反共だったが、このゲリラは容共路線を採る。
1979年7月、ニカラグア革命が成立した(私のホームページ「ラ米の革命」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C7_1.htm#4参照)。FSLNを中心とした革命政権が進めようとしたのは社会主義建設ではない。だが、キューバと国交を回復し、翌80年の革命一周年式典に、中米では初めてカストロを招待している。そして同年80年10月、FPLを含むエルサルバドル国内ゲリラ組織の統合によってFMLNが創設されたが、その組織間交渉はハバナで行われている。正真正銘の社会主義革命を目指すゲリラとして発足、翌81年1月、武力蜂起した。これを契機に、米国がニカラグア革命政府に約束していた援助を凍結した。
ほどなく米国にレーガン政権が発足した。いわゆる「エルサルバドル白書」が出され、キューバからのFMLN支援がニカラグア経由で行われる、との仮説が歩き始めた。エルサルバドル政府に対する支援が強化されたのは当然として、ホンジュラスを拠点に活動を続けるニカラグア反革命組織(コントラ)の支援をも始めている。米国にとっては民主党政権だろうが共和党だろうが、FMLNの印象は大変に悪い。
1992年1月、当時のクリスティアニ政権(1989-94)とFMLNがメキシコでチャプルテペック和平協定を締結し、武装解除の上政党化した。ニカラグアのコントラはその2年前に終っていた。革命政権を11年間率いたFSLNのオルテガ氏が政権に復帰したのは2007年1月だが、それから1年半でエルサルバドル史上初めての左派政党、FMLNが政権を担うことに奇縁を感じる。奇縁といえば、オルテガ政権発足から1年後、グァテマラでもUNE(希望国民連合)のコロン氏が政権を発足させている。これにはちょっと説明を要する。
1982年、グァテマラの左翼ゲリラも統合され、URNG(グァテマラ国民革命連合)が同国での内戦を展開し、いわゆる「中米危機」に突入していた。これが武装解除し政党化したのは96年、と遅れた。小党、という点がFMLNやFSLNと異なる。ただその前身MR-13(11月13日革命運動)が結成されるもとになった60年11月の軍内叛乱を起こした将校は、54年6月に追放されたアルベンスのグループに属していた。アルベンス思想を掲げるコロンは、その意味でURNGと無関係ではない。