映画ゲバラ二部作(2)
第一部の「28歳の革命」に続いて、第二部「39歳、別れの手紙」を観た。1965年10月、キューバ共産党が創設されたが、その記念式典で、カストロがゲバラから貰った「別れの手紙」を読み上げる。映画の冒頭のシーンだ。世界にはまだ自分が貢献できる場所がある、と言い、キューバから去ることを伝えている。この時点では、既に彼は家族を残してキューバを離れていた。
原題は前者が「The Argentine(アルゼンチン人)」で、後者は「Guerrilla(ゲリラ)」となっている。アルゼンチンから来たゲバラがキューバの革命に如何に関ったかを描いた第一部に対し、第二部では彼がボリビアに潜入して約320日間、率いたゲリラ活動そのものを淡々と描く。ご存知の通り、彼は1967年10月8日にボリビア軍に捕えられ、2日後に銃殺される。この史実を知る人には、この映画が彼の挽歌に映る。所々で流れる、哀調を帯びたアンデスフォルクローレ調のギターと最後のカンシオンが、実に効果的に響く。
彼のゲリラ活動は、銃を担ぎながら時々国軍との銃撃戦を行いつつ、圧政に苦しむ貧しい農民と労働者が圧政者を追放し、平等社会を築き上げるため決起するよう遊説し、ゲリラ兵士を募り、或いはゲリラへの理解と支援を求めて村から村へ、ゲリラ服で移動していく、というものだ。反乱の基幹を深化させ拡大することで革命が実現できる、反乱拠点は農村部に置くのが現実的、というゲバラの考え方はよく知られる。キューバ革命で学んだものだろう。だから、農民に対する強要や掠奪は、相手がゲリラに反発し敵視しても、厳に戒めた。
ボリビアはキューバに7年も先行して社会革命を成し遂げた。この主体はパス・エステンソロ(私のホームページ「ラ米のポピュリズム」中の「第二次世界大戦後のポプリスタ」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C9_1.htm#5参照)が指導するMNR(直訳すれば、「民族主義革命運動」)であり、もともとボリビアよりも革命のさらに先輩たるメキシコに似た民族主義革命だった。だから農地改革を行い、鉱山を国有化した。前者は、キューバが米国の経済制裁を受ける切っ掛けになった措置だが、ボリビアには米企業の保有農地が殆ど無かったため、問題化していない。後者も同様だ。
パス・エステンソロは1964年11月、彼の政権で副大統領だったバリエントス司令官に追放された。パス・エステンソロの政治が革命理念から離れている、としてクーデターに及んだ。メスティソ(白人と先住民との混血)で空軍パイロット出身のバリエントスは先住民の言葉が話せる。66年の選挙で、大統領になった。ゲバラが潜入したのは、その数ヶ月後だ。そんなボリビアを次なる革命の場所に選んだ。彼に言わせると、バリエントスこそ革命を裏切った。結果として農民や労働者の貧困が進んだ。国有化されていた鉱山で待遇改善を求める労働者ストが1965年から頻発し始め、一部はゲリラ闘争に入った。ゲバラがここを選んだ背景として記憶したい。当時非合法だったボリビア共産党からもゲリラ参加者がいた。共産党の資金支援も考えたはずだ。
彼の潜入後、共産党は武力闘争から離脱した。この頃、ラ米各国の共産党の大半が武力闘争を忌避していた。ソ連の意向でもあった。67年6月、錫鉱山で起きたストで国軍が出動し、70人とも90人とも言われる犠牲者が出た。その後、鉱山労働者の実力闘争が陰をひそめた。また先住民を中心とする農民層には、革命理念は伝わり難い。加えて、ゲバラ潜入を知った米国が黙って見過ごすはずはなく、対ゲリラ戦の訓練を申し入れた。当時米国はベトナム戦争の最中であり、対ゲリラ戦での経験を積んでいた。また特殊部隊を提供した。映画では、特殊部隊に参加した亡命キューバ人も登場する。ゲバラの率いるゲリラ勢力は数十人規模に過ぎない。こうしてゲバラの闘争は彼の死によって終る。闘争に参加した十数名のキューバ人の殆どが死亡した。
有名な「ゲバラの日記」を1968年6月にハバナに届けたのは、しかし生き残りのキューバ人ではなく、当時のボリビア内相だ。ハバナでゲバラの日記が発売されると世界中で読まれ始める。この年から世界各国で反体制運動の火が燃え盛ったことと無関係ではあるまい。ペルーではベラスコ将軍による左派軍事クーデターも起きている。69年4月、彼を処刑して1年半経って、バリエントス大統領は航空機事故で死亡した。同年10月、ペルーに1年遅れて、ボリビアにもトーレス左派軍政が誕生した。ペルーとは異なり、これは1年半で崩壊する。
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