世界同時不況と中南米
2007年8月に突然クローズアップされたアメリカのサブプライムローン問題。以後、金融機関が計上してきた損失額の巨大さに瞠目するばかりだった。1年間でついにはリーマンブラザーズが経営破綻に陥った。実体経済の悪化を予測し下落してきた企業株価は下げ足を速め、金融システム保護のための財政出動、利下げ、基幹産業である自動車への政府の巨額資金支援、と、市場主義経済を奉じるブッシュ政権すら動かざるを得なくなった。それでも失業者が短期間で急増し、国民購買力が急速に減退している。問題はこれがアメリカから世界に波及していることだ。先進国は軒並み不況に陥り株価も暴落している。先進国向け輸出で経済を牽引する新興国はさらに厳しい。伝統的輸出産品である食糧、金属エネルギー価格が暴落しただけではない。先進国向け製造品の需要は急減した。先進国からの証券投資が引揚げ、同じく株価暴落を呼んだ。アメリカ向け輸出に頼る中南米諸国も同様だろう。
百年に一度の経済危機、という。1929年10月のウォール街発世界恐慌が念頭にある表現だ。29年と比較したアメリカの33年のGDPは三割下落、32年の世界貿易は、数量で四分の三に落ち、34年には金額で実に三分の一にまで激減した、という(いずれも「世界の歴史」26巻。中央公論新書、1997)。
今回の世界同時不況がここまで行くとは思えないが、この機会に当時のラ米を振り返ってみたい。Modern Latin America(Oxford University Press,2001)によれば、1930-34年のラテンアメリカの輸出高は25-29年に比べ48%だった。世界恐慌期の中南米では、30、31年の2年間で、旧スペイン・ポルトガル植民地(イベロアメリカ。以下通称の上記ラテンアメリカで表記。時にラ米とつづめる)十九ヵ国の内、8ヵ国で軍事クーデターが起きた。他11ヵ国の内、チリでは時の大統領が政権を放棄し亡命した。32年にはボリビアとパラグアイが3年間に亘る「チャコ戦争」を起こした。33年にはキューバでもクーデターが起きる。何より曲がりなりにも民主主義体制を採っていたラ米諸国で、軍部が政治影響力を示し始め、それを背後とした個人長期政権が中米カリブ諸国に続出した。メキシコ、コスタリカ、コロンビア、チリ及びウルグアイを除くそれ以外でも、軍部の台頭は顕著だった。日本も軍国主義に向かい、ドイツではナチ支配が、イタリアではファシズムが台頭する時代にも当たる。第二次世界大戦にまで進んだのはご存知の通りだ。だが賢明にもラ米諸国は連合軍側に付き、しかもブラジルとメキシコを除く17ヵ国は、参戦すらしなかった。
世界恐慌から80年。今、軍部が政治影響力を持つ国は見られない。反政府勢力によって政権を追放される政変は有り得ようが、60年代からの軍政時代を経験したラ米諸国で、軍事クーデターは、ちょっと考えられない。キューバとベネズエラを除くと個人長期政権が可能な国は無い。色々な見方もあろうが、私はラ米の殆どの国で民主主義が根付いた、と思っている。
世界恐慌期のラ米は基本的に、先進国に食糧、金属資源を輸出し、工業製品を輸入する貿易構造にあった。交易条件が圧倒的に不利である、との考え方も強まった。工業製品の自国生産切り替えを図る、いわゆる輸入代替産業振興(従って保護主義政策が必然となる)が声高に叫ばれるようになり、特にブラジルやメキシコのような主要国で政策に移された。今や殆どの国で、GDPに占める第二次産業のシェアが第一次産業を上回る。メキシコや中米・カリブ諸国では工業製品の大半がアメリカに輸出される。だからこそ、アメリカの購買力減退がもたらすダメージの大きさが心配だ。
工業国となったブラジルやアルゼンチンは、製品をラ米諸国向け、取り分けメルコスル域内諸国に輸出し、欧米には鉄鋼原料や食糧を輸出する。最近では中国が大豆や鉄鉱石の大口買い手として台頭してきている。それでも金属などの工業原料は全世界的に需要減にも見舞われ、しかも価格はこの1年間で大きく下落した。これはチリやペルーの非鉄金属についても言える。穀物、食肉、コーヒー、砂糖、需要減の度合いは工業原料に比べて軽微でも、国際価格の下落ぶりは同じだ。アメリカ向けが大きいコロンビアやエクアドルでも同様である。
世界有数の産油国ベネズエラは、チャベス大統領の勇ましい反米姿勢と対ロ協調、及び独自の社会主義レトリックで間違えやすいが、石油輸出の大半はアメリカに向けられる。これもこの数ヶ月で三分の一にまで急落した原油価格とアメリカの需要減で、輸出が激減する方向にある。石油輸出国としては、メキシコやエクアドルも同様だ。
先進国の金融機関や投資ファンドによる国境を越え自由に動き回る投機的な資金の動きも恐ろしい。日本でも証券市場でも現在進行中だ。何か懸念があると、中身を精査したのか疑わしいが一気に資金を引揚げる。1994年のメキシコ、98年のブラジル、あるいは97年の東南アジアで、そのダメージの凄まじさをみてきた。今回もラ米から引揚げる資金量がどれほどになるか、背筋の寒さを覚える。何しろ、輸出高が激減する。これを唯一の根拠に、もともと資金繰りに行き詰っている連中は、ラ米の証券市場からの資金引き揚げを躊躇すまい。
どれを見ても、ラ米も近年に無い不況に陥ると思うしかない。予想される社会不安は、だが、80年前の世界恐慌期のように軍部の強権によって抑えられることはあるまい。繰り返すが、ラ米は民主主義を達成した地域である。欧米、或いは日本同様、きちんとした景気対策が打ち出され、或いはそれができない政権はやはり民主的に他の政権へと交代する形で進んでいくだろう。皮相なカントリーリスク論議に惑わされないことが肝腎だと思う。
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