映画ゲバラ二部作(1)
今年1月、ゲバラの映画が全国一斉に封切られた。かかっているのはメジャーの映画館だ。四年前、学生時代のゲバラを描いた「モーターサイクルダイアリー」を観たが、上映したのは恵比寿ガーデンプレースにある映画館だった。ゲバラ役のベニチオ・デル・トロはこの作品でカンヌ映画祭主演男優賞、という話題性からだろうか、それとも、今年がキューバ革命五十周年だからだろうか。
その第一部、「28歳の革命」を観てきた。グランマ号の82人の一人としてメキシコからキューバに渡った1956年12月に彼は28歳だった。シエラ・マエストラの山中に逃れ得た僅か12名で始めた革命について詳しい方も多かろう。若き日のカストロ兄弟、カミロ・シエンフエゴスらが、また、セリア・サンチェスやビルマ・エスピン(後のラウル・カストロ夫人)が、イメージそっくりに登場した。フィデル・カストロ役は、話し方も身振りも表情も、私がこれまでに見聞きした当人のそれと、まるで同じだ。何より、チェ・ゲバラは、まさしく本物が蘇ったようだ。ついでながら、彼以外が喋るスペイン語が、まさしく私が都合6年間現地で接したキューバ人のそれと同じで、懐かしさも覚えた。
映画は、1952年のバティスタによるクーデターのドキュメンタリー映像を先ず見せ、55年央にゲバラがメキシコ亡命中のカストロらと会ったところから革命が成立するまでの三年半を、64年12月のニューヨーク滞在時のゲバラ(この部分は白黒)の表情と彼の国連演説を交えながら進む。
1964年はどんな年だったか。1月、フィデル・カストロ訪ソの機会にキューバ・ソ連間長期通商協定が締結され、5月にはアメリカが対キューバ全面禁輸(それまで食糧・医薬品の輸出だけは認めていた)に踏み切り、7月には米州機構(OAS)外相会議で米州諸国の対キューバ全面禁輸、断交を決議した。キューバを除くラテンアメリカ(イベロアメリカ。ラ米)18ヵ国で、国交を持つのは9月時点でメキシコだけ、という、キューバの米州内孤立化時代が完成した(ラ米略史「革命の時代」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C6_2.htm#5参照)。
ラ米では、1964年の1月、パナマで国旗掲揚事件が起きている。運河地帯でのパナマ国旗掲揚拒否を受けて抗議したパナマ市民が暴徒化し、米軍がこれを鎮圧するに際して多くの犠牲者が出て、当時のチアリ政権は、三ヵ月間、対米断交に及んだ。ゲバラの前にキューバ批判演説したパナマ代表に対し、ゲバラが指摘したのはこの点である。
ニカラグアとベネズエラの代表がキューバ非難演説を行うシーンも出る。1961年の有名なピッグズ湾事件では、グァテマラで訓練を受けた亡命キューバ人はニカラグアから出撃した。この後、ニカラグアでサンディニスタ民族解放戦線(FSLN。今日の政権与党)の前身が結成されゲリラ活動に入った。翌年、放送局占拠事件を起こす。ベネズエラでは62年に各地で暴動が起き、民族解放軍(FALN)というゲリラが結成され、海軍基地や政治犯を収監する刑務所への襲撃事件を惹き起こしていた。いずれのゲリラも、キューバ革命に刺激されて結成されたものだ。他のラ米諸国でも多くの国でゲリラが台頭、長期軍政入りに繋がっている(ラ米の軍部-軍政時代を経て「軍政時代」及び「ラ米諸国のゲリラ戦争」http://www2.tbb.t-com.ne.jp/okifumi/C10_1.htm#3参照)。
映画の第一部は、革命成立までを扱ったものだ。シーンがよく飛んでいるが、ゲバラの革命観形成の過程や人となりを見る積もりなら、実に上手くできている。医者として村人を診る彼の表情が良い。また部下への指導も、実に人間的だ。弱者への優しさと自分自身の肉体的弱点(喘息持ち)の場面が何度も出てくる。毅然とした決断力と行動力を見せてくれるのは、映画の終盤である。
彼が目撃したグァテマラのアルベンス政権崩壊事件に触れていないので、少々分かり難いが、この事件の背後に同政権を共産主義と断定した米国政府の意向(東西冷戦下の警戒と米企業保有地まで対象になる農地改革への懸念)があったことはよく知られる。彼の反米意識はこの時強まった。映画で革命成立後の施策として何度も「農地改革」が語られているが、来るべき革命政権の対米摩擦の予兆として捉えると分かり易い。農地改革自体は、大土地所有制が国民の貧富格差を生み出す基、として、その改革を重要課題とする考え方が広まり、決して突飛な施策ではなかった。さらに言えば61年にアメリカのケネディ政権が打ち出した「進歩のための同盟」にもうたわれている。制度上、これを明文化したのがメキシコの「1917年憲法」で、この実行で有名なのが同国のカルデナス政権(1934-40年)だ。この時は、アメリカが対ラ米「善隣政策」のルーズベルト政権で黙認された。52年のボリビア革命でも実行された。米企業の利害が無いだめか、対米関係では何事もなかった。そしてグァテマラである。アメリカは、この時は動いた。
キューバ人で、私が大変に親しくしていた何人かは、子息にエルネストと名付けた。エルネスト・チェ・ゲバラを慕ってのこと、と言っておられた。フィデルを嫌いなキューバ人の何人かとも親交はあるが、ゲバラを敬愛しない人に会ったことがない。この点については、別の機会に譲ろう。
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