2016年6月27日 (月)

リコールと対話と-ベネズエラ

624日、ベネズエラでマドゥーロ政権のリコールを請願する署名の有効化手続きが終わった。世界最悪のインフレ、深刻な物不足による国民の生活の困窮の経済危機の責任を問うものだ。署名し、且つ全国選挙評議会(CNE)の検証により認証された有権者が、CNEが設定した全国300箇所の「有効化センター」に出頭して行うものだが、全国の有権者の1%に当る20万人分の有効署名が集まれば、次の段階(同20%相当の400万名分のリコール賛成の署名集め)に進める。有効署名数は、最終的に41万近くとなった旨、リコールを推進している野党連合、「民主統一会議(MUD)」のリーダーである前大統領候補、カプリーレス・ミランダ州知事が明らかにした。だがCNEから特段のコメントは、本日現在、伝わって来ない。

それより2ヶ月近く前の52日、MUDCNE196万万人分(610日付けでAP電スペイン語版が伝えたCNE発表の数字から計算)のリコール請願署名を提出した。CNEはこの検証作業に1ヶ月以上かけ、135万人分を認証した。他は死亡者、投票不能、罪人、若年、或いは他要件を満たさない、として排除した。昨年12月の議会選で、議席数で3分の1の少数与党に陥った「ベネズエラ統一社会党(PSUV)」の政権側http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/12/post-73f9.html は、これらを虚偽署名、と断定し、これを大量に集めたMUDのリコール請願自体の取り止めを司法に訴えた。一方MUD側は、カプリーレス知事が排除対象者には自分を含む反体制派政治家もおり、CNEによる作業は不透明、と批判している。外電報道だけを頼りにしている私には、MUDが必要な署名の10倍もCNEに出した理由も、実際に虚偽署名集めの批判への反論の無さも一向に理解できない。ともあれ常識的には次の段階に進める筈だ。

リコール投票に入れば、彼の2013年大統領選での得票数を超える賛成票で、マドゥーロ失職が決まる。だが新たな大統領選に移るには、リコール実施は彼の本来任期の2019110日より2年前まで、つまり17110日まで、が必須だ。その後だと、彼が任命した副大統領が大統領を代行することになり、実効性が失われる。請願署名400万を集めた後、これをCNEが認定し、90日後のリコール投票を告示、というプロセスを考えると、本当にできるのか、疑問にも思う。欧米メディアはCNEも司法の最高機関、最高裁判所も、政権寄り、と伝える。 

5月末、南米諸国連合(Unasur)主導で政権側と反政権側との話し合いを模索する試みが、スペインのサパテロ前首相、ドミニカ共和国のフェルナンデスレイナ前大統領、及びパナマのトリホス元大統領を国際委員会の調停者として、ドミニカ共和国のサントドミンゴで行われたが、結局、調停者と夫々の代表者との個別会合になった。MUDは、実効性を念頭に2016年中のリコール投票実施、政治囚解放を話し合いの前提条件にする。

621日、米州機構(OAS)の常設評議会で、サパテロ氏がベネズエラ国内での対話の必要性について語ったが、MUDは、司法が立法府の決議を否定し行政の言いなりの、三権分立を侵害している現状を無視しており、リコールには触れないことを非難する。その一方で、マドゥーロ氏は国際委員会の努力を評価し、MUDに対話を呼び掛ける。だがリコールについては2016年内には有り得ない、と繰り返す。

その3週間前の531日、OASのアルマグロ事務総長は、ベネズエラに米州民主憲章の、最悪の場合当該国除名に繋がる「民主主義を損ねる立憲上の変更の存在」を適用すべく、623日に常設評議会臨時会議を招集し、そこで適用理由を述べる報告書を提出する、と発表した。彼はリコール投票実施と政治囚の解放を求める立場だ。ベネズエラ側は一主権国家の国内問題に韜晦し、事務総長職権を逸脱している、として臨時会議自体の取り消しに動いたが、結局開催された。だが、票決は行われずに終わった。 

上述のサントドミンゴでの国際委員会と政権側、藩政権側との個別会合の後、64日に6月早々、サパテロ氏がハバナで、14年の懲役刑で服役中の反政権側リーダーの一人、ロペスに面会した。それまで各国の著名政治家が果たせなかったことだ。同時に、ハバナで開催された第7回「カリブ諸国連合(25カ国で構成)」サミットで、上記の対話の努力を支持する旨の声明が発せられる。理解、対話及び憲法遵守の手続きの全ての努力"への支持、と表現された。主催国のラウル・カストロ議長、マドゥーロ、ソリス(コスタリカ)、サンチェスセレン(エルサルバドル)、メディーナ(ドミニカ共和国)各大統領が出席した首脳、として名が挙がっている。

いがみ合うのではなく対話で解決して欲しい、との国際社会の声は心地よい。ただ対話は、リコール投票手続きの中止、或いは実効性の無い2017110日以降への先延ばしに繋がりかねない。

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2016年6月25日 (土)

コロンビア政府・FARC間停戦協定調印

623日、世界中の耳目を集めた英国の欧州連合(EU)離脱の国民投票の只中、コロンビア政府とコロンビア革命軍(FARC)の停戦協定がサントス大統領とFARCの最高指導者のロンドーニョ司令官(通称「ティモチェンコ」)との間で、201211月からの交渉場所、ハバナで調印された。我が国でも主要メディアが大きく取り上げた。

調印式には潘基文・国連事務総長、和平プロセス保証国(キューバとノルウェー)からは前者がラウル・カストロ国家評議会議長、後者はブレンデ外相が、同立会い国(ベネズエラ及びチリ)からは、前者がマドゥーロ、後者はバチェレの両大統領が、そして、ペーニャニエト(メキシコ)、サンチェスセレン(エルサルバドル)、メディーナ(ドミニカ共和国)の各大統領も出席した。

国連は今年125日、安保理事会が和平最終協定調印後の和平監視団を決議した。バチェレ氏が今回の停戦協定調印を「コロンビアのみならず我が米州全体にとり歴史的な一瞬」とコメントしたような、今回協定の重要性に鑑み、事務総長出席、となったものだろう。首脳出席が無かった米州各国からも次々に祝意が寄せられていることを伝えている。

保証国、立会国以外で出席した首脳では、メディーナ氏はラテンアメリカ・カリブ共同体(CELAC)の持ち回り議長を務める。上記バチェレ氏コメントと同じ意識が為すものだおう。ペーニャニエト氏は、太平洋同盟の盟主の意識もあろうし、コロンビアから米国への麻薬回廊として苦しんでいる背景もあろう。サンチェスセレン氏はエルサルバドルの「ファラブンドマルティ国民解放戦線(FMLN)」のゲリラだった人で、19921月の政府との和平協定を経てFMLNが政党に移行し、2009年には政権を担うようになった歴史の体現者だ。今年4月始め、サントス氏が同国を訪問、和平プロセスへの協力を取り付けていた。 

コロンビアのFARCとの対話について私はブログでは昨年7http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2015/07/farc-a0e2.html以降、書いて来なかった。ここで紹介した和平最終合意までの猶予は4ヵ月、との昨年7月のサントス大統領の突きつけは、本人が同年9月にハバナに赴き、ラウル氏立会いでFARCのロンドーニョ氏と初めて会談を持ち、今年の323日まで、に延長していた。武力抗争で22万以上の死亡者、600万以上の国内避難民を出したFARCの戦闘員や幹部に対する困難な司法判断が関わり最大の難関とされた内戦被害者への償いの問題は、昨年末に決着を見た。だが、武装解除と調印する最終和平協定の最終承認を巡り、議論は続き、上記の期限は過ぎていた。

武装解除とは、一定期間に、特定の場所(数十箇所とされる)でFARCが武器を引き渡すメカニズムを指す。その後、武器は破壊され、溶かされ、平和のモニュメント建造に使われる、と言われる。FARCが自衛の場合を除き国軍に対する一方的停戦に入って久しい。国軍もFARCへの戦闘行為は控えている。双方向での完全な停戦に、FARCの武装解除は不可欠だ。FARCが懸念するのは、10年前に武装解除した、とされる自警団(パラミリタリー)の後継武装勢力のFARCメンバーに対する攻撃のようだ。武器引渡しに国連機関の関与は決まっている。それでも、安全面での対策作りに時間が掛かったのだろう。

協定の最終的承認は、国民投票で行われる。FARCは、憲法改正が不可欠との立場を貫いて来たが、512日の合意文書で、現行憲法の枠内での国民投票を認めることを確認した。司法分野では検事総長自身がFARCメンバーへの懲罰を強く主張しているし、ウリベ前大統領のように、和平プロセスを批判する政治勢力も無視できない。あと2年強でサントス政権は終わる。和平協定発効から武装解除、政党活動開始、20183月に予定される次の議会選参加を考えると、FARCに残された時間は少ない。実を取ったのだろう。 

政府は国民投票を遅滞無く進めるための「和平特別法案」を議会に提出していたが、66日に承認された。その前段階で、その正統性判断を憲法裁判所に仰いでいる。そして、サントス大統領はFARC との和平最終協定調印を、それも720日に、今度こそボゴタで行う、と言明した。政府にとって、もう一つのゲリラ、国民解放軍(ELN)との和平プロセスが次の大きな課題となる。こちらは、一向に進んでいない。FARCとの最終協定の実相をELNが見守っているのかも知れない。

英国が離脱を決めたばかりのEU、そして左翼ゲリラに厳しかった米国のいずれも、和平後のコロンビアへの支援を打ち出し始めた。和平が成っていない現状でも、コロンビアは経済成長を続けている。当然の動きだろう。

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2016年6月10日 (金)

ケイコの敗北-ペルー大統領選決戦投票

65日のペルー大統領選決選投票の結果は、全国選挙審議会(JNE)の発表を以って正式、となる。これを書いている610日(現地9日)の段階では発表されていないが、現地9日に全国選挙管理事務所(ONPE)が国際選挙監視団に伝えた通り、「変革へのペルー人(Peruanos por el Kambio、以下PPK)」のペドロ・パブロ・クチンスキー候補(以下、クチンスキー)の勝利は動くまい。「大衆勢力(Fuerza Popular、以下FP)」のケイコ・フジモリ候補(以下、ケイコ)の二度目の挑戦は、結局敗北に終わることになる。

それにしても、未集計の0.177%を除いても、投票総数1,831万票で、二人の得票差は4.13万、率にして0.244ポイントの僅差だ。54年も前の1962年に「アプラ党」の創設者、アヤデラトーレ(18951979)が「人民行動党(AP)」のベラウンデテリー(19122002)を破った時の0.8ポイント差を、54年ぶりに下回った。なお、アヤデラトーレ大統領就任を嫌う軍部の介入で、翌年再選挙となり、4.7ポイント差で後者が逆転している。 

http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2016/04/post-6f33.html

で述べた通り、ケイコ候補は、総選挙での第一回目投票で40%の得票率で、21%で二位のクチンスキー候補に倍する大差を付けた。総議席130の議会で彼女のFPは、過半数の73議席を得た。PPK18議席で、第一回目投票では三位だったメンドーサ候補の中道左派「拡大戦線(FA)」の20議席を下回る。それから決選投票までの2ヶ月間近く、19ポイント差を引っ繰り返されて敗北した。2011年選挙でも敗北したが、引っ繰り返ったのは8ポイント差だった。今回選挙は、私にはどうにも後味が悪い。

選挙まで半月を残す5月央、FPの幹部が米国麻薬取締局(DEA)にマネーロンダリング容疑の捜査を受けている、とのテレビレポタージュが流され(本人は否定。ただ党の要職を辞任した)た。これを受けてペルーの検察が動き始めた旨伝わる。

531日、「フジモリズモ(フジモリ主義)」復活を嫌う、「Keiko no vaケイコは出るな」運動の大規模デモが、1992年のアルベルト・フジモリ(ケイコ氏の父親)による自己クーデターの24周年目に当る45日に続いて行われた。いずれも総選挙、及び決選投票の直前で、参加者は数万人規模のようだ。政治運動ではなく市民の組織によるもので、ブラジルのペトロブラス汚職に怒りルセフ大統領退任を求め、動員数150万とも300万とも言われる「Vem Pra Rua(街頭に繰り出せ)」運動にも似ているが、実態はよく分からない。ソーシャルネットワークで呼び掛けられる。

531日のデモには、上記メンドーサ氏や、3月に選挙辞退に追い込まれていた、それまでの有力候補だった、中道「みんなのペルー(Todos por el Peru)」のグスマン氏(それまではケイコ氏に次ぐ有力候補)ら政治家も参加し、ケイコ勝利を実現させぬため、としてクチンスキー候補への支持を訴えた。

その531日に行われた候補者討論で、クチンスキー氏が自らの豊かな経験を誇示した上で、争点を父親の強権政治に据え、ケイコ氏が父親のファーストレディーを務めていたことを持ち出し、「フジモリズモ」復活はペルーの民主主義への脅威、と強調した。加えて、ケイコが大統領になればペルーは「麻薬国家」になる、と言い始めた。 

ケイコ氏もクチンスキー氏も自由主義経済を信奉する。いずれも米国での生活経験があり、米人と結婚した。だが前者は留学しただけで、後者は軍政時代に米国に逃れ、そこでエコノミストとしての経験を積み、一旦帰国して、また戻る。在米期間の長さが半端ではなく、口の悪いペルー人からは、日本語で言えば「アメ公」に当るだろうか、「gringo」と呼ばれるようだ。加えて、ペルーでは首相を含む閣僚を歴任している。ケイコ氏のように選挙で公職に就いたことは無いが、経験の豊かさを誇示するだけのことはあろう。ただ、ケイコ氏の父親と同じ77歳で、ラ米諸国の首脳としては、キューバのラウル・カストロ議長に次ぐ高齢だ。

ロイターやAPAFPと言った欧米系メディアは、ケイコ氏には「人権侵害と汚職で25年懲役刑を宣されたアルベルト・フジモリ元大統領の娘」との修飾を付ける。父親がクーデターを起こし強権政治を敷いたことを強調する。ペルーのノーベル賞受賞者のバルガス・ジョサを始めとする知識層も、フジモリ憎し、の論評に余念が無いようだ。私には、以前書いたように、(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2009/04/post-a695.html

違和感を禁じえない。

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2016年5月21日 (土)

メディーナの連続再選-ドミニカ共和国大統領選

私事で申し訳ないが、キューバに3度、計6年間駐在したのに、スペインによる十五世紀末からのアメリカ植民地統治の基点だったドミニカ共和国には、歴史的な関心を強く持ちながらも、行ったことが無い。現役時代、市場として管轄する立場にありながら、一時期には勤務先の駐在員もいながら、残念なことだと思う。この国の動きは主としてAPReutersAFP及びEFEの報道が便りだが、印象としては、それらの外電のこの国への関心は低そうだ。眼が、どうしてもキューバ、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、そしてメキシコに行ってしまうのだろう。私の方も、この国をブログで取り上げるのは前回大統領選の時http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/05/post-a8ab.html

以来、つまり4年ぶり、となる。 

去る515日、この国で総選挙が行われた。この国では、1996年以降、大統領選と自治体選の2年後に議会選が行われてきた。1966年以降二度に亘り連続再選を繰り返したバラゲール(1906-2002。大統領在任1966-781986-96)が、1994年選挙時、自らの任期を2年間、議会の任期4年は不変、としたことが元になっている。それをラ米で一般的な、且つ94年以前はドミニカ共和国でも採用されていた総選挙(大統領、議会同時選挙)方式に、22年ぶりに戻した。前回議会選で当選した議員の任期を4年から6年に延長することで実現した。 

中央選挙委員会(JCE)開票作業が手作業のためか、5日経った段階での開票率が92.9%台だが、大統領選は「ドミニカ解放党(PLD)」の、また副大統領候補に前回同様、副大統領候補をフェルナンデスレイナ前大統領(1853~。在任1996-20002004-12)夫人のマルガリータ・セディーニョ現副大統領(51歳)に立てたメディーナ(64歳)現大統領の得票率が約62%であり、連続再選は確定している。この得票率は、ドミニカ内戦後の1966年選挙以来、特殊例(197074年にPRDが選挙をボイコット)を除くと、最高だ。2012年に就任して早速断行した財政改革、その後の高い経済成長や優先政策としての教育振興で高い支持率を維持しているのが、何よりの勝因だろう。

バラゲールの最後の政権下で決まった大統領連続再選禁止は、メヒーア(1941~。大統領在任2000-04)政権時代に解除、フェルナンデスレイナ第二次政権で復活した。そしてメディーナ(64歳)現政権下でまたしても解除されている。 

大統領選で二位につけたのは「現代革命党(PRM)」から立候補した48歳のアビナール候補で同時点の得票率は35%だ。副大統領候補にはメヒーア(1941~。大統領在任2000-04)元大統領の息女、カロリーナ・メヒーア(47歳)氏を立てた。

この国では、上記バラゲール時代が終わると、PLDと、「ドミニカ革命党(PRD)」の二大政党時代に入った。いずれもボッシュ(1909-2001)が創設した。後者が最初で、1939年、トルヒーヨ(18911961)独裁を離れて亡命していたキューバで立ち上げた。1973年に自ら離党し、前者を作った。要するにこの二大政党は同根だ。今回のアビナール候補は、2012年大統領選で、PRDの副大統領候補だった人で、その後、大統領候補だったメヒーア氏と共に、PRMに移った。一方で、PRDの今回候補者は同党のバルガスマルドナード党首だったが、途中で立候補を見合わせ、メディーナ氏への支持を表明していた。理由は、彼の国民統合政府への共鳴、の由だが、同根同士、あまり違和感は無いのだろう。一方でアビナール氏は、バラゲールの「社会キリスト教改革党(PRSC)」の協力を得ている。 

31地方(provincia)及び首都特別区を単位とする議会選は、定数32議席の上院が夫々から一人ずつを選ぶ小選挙区制を採っており、選挙直前、PLD31議席、独占状態だった。同190議席の下院も、PLD102で過半数を確保している。在外議員7名を除く183名が比例代表制で選ばれ、内5名は少数政党に配分される。拘束名簿方式なので、正しく政党同士の選挙だ。第二党はPRD45、第三党がPRM35となっており、この3党で182議席を占める。これがどう変わるか、開票が大統領選よりも遅れるのは、他ラ米諸国同様であり、辛抱強く待たねばならない。だが、メディーナ第二期で少数与党になることは考えられないし、且つ、PRDが協力的だ。ラ米資源国と異なり、資源の国際価格の動向に振り回されることも無い。正常安定は続きそうだ。

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2016年5月15日 (日)

ルセフ大統領職務停止-ブラジル

512日早朝、ブラジル上院本会議がルセフ大統領の弾劾裁判を賛成55票、反対22票で可決したニュースは、我が国でも早速報じられた。その是非について、11日午前10時から翌朝6時半までの20時間半をかけた、上院議員一人ひとりが壇上で発言する本会議の模様は、テレビで生中継された。弾劾理由は財政への不正操作関与の筈だが、大半はインフレや不況の責任を追及していたのではなかろうか。

ブラジルの上院議員は、下院同様、26州及び首都特別区単位で選出される。定数513議席の下院は人口に比例して議員数を割り当てるが、同81議席の上院議員は、27名が定員1名ずつの小選挙制、54名は2名ずつの中選挙区制で選ばれる。選挙区間の票の格差はとんでもなく大きいが、二院制を採る国では普通だろう。だが発言時間は等しく一人当たり15分間とされた。417日の下院本会議では遥かに少なかった。 

ルセフ氏は、自動的に職務停止、となった。これから最長6ヶ月間掛け、上院で行われる彼女に対する弾劾裁判がどんなものか、私には想像し難い。上院で行われる弾劾裁判には、4年前のパラグアイのルゴ大統領罷免がある(http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2012/06/post-2e10.html)。スペイン語でjuicio político、即ち政治判決、と言うその当時の表現が、ルセフ氏の場合にも外電のスペイン語版でも使われた。ポルトガル語では英語のimpeachemtを使っている。時間をかけるところが、パラグアイの場合とは異なる。ただ罷免理由が、財政赤字を少なく見せる操作への関与、と言うことに、そんなに審議時間を掛けられるものだろうか。

裁判中は、憲法の定めにより、テメル副大統領が大統領職を代行する。その意味では停職となるのは彼女一人、と思うが、彼は全員が新任の閣僚を任命した。たとえ代行、とは言え大統領の実務を担うのは一人、事実上の大統領だから、との理屈で、閣僚指名権を行使することに文句は言えまいが、結局、政府の全閣僚が失職した。

ルセフ氏に「上院の裁判」で「有罪判決」が出れば、彼は「代行」がとれ、2018年末まで大統領を務めることになるが、無罪判決が出て彼女が復職すれば、どうなろうか。テメル氏は省の数を32から9削減し、政府機構の効率化を誇示する。外電は、新閣僚が富裕な保守政治志向の富裕な中高年者、女性や非白人閣僚数はゼロ、と伝える。

新閣僚には、「ブラジル民主運動党」(以下PMDB)が、僅か1ヵ月半前にルセフ政権を離脱するまで、野党第一党だった「ブラジル社会民主党(以下PSDB)」を含む前野党陣営からも登用された。外相になったのは、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2010/11/post-eaab.htmlにも書いたPSDBのジョゼ・セラ元大統領候補、74歳だ。 

ところで、56日、クーニャ下院議長が、こちらは連邦最高裁判所によって、職務停止を余儀なくされた。Petrobras 汚職スキャンダル司法捜査の妨害を理由としている。これは、昨年12月、彼が下院議長としての職務を、自らの捜査を回避すべく悪用している、との検事総長からの訴えに応えたものだ。その彼がその12月にルセフ弾劾のプロセス開始を決定した。職務停止の彼を継いだ「進歩党(PP)」のマラニャン下院議員は、59日、下院議長の権限として、417日の下院決議を無効とする決定を発表、同日夜には決定を撤回する、という迷走を見せた。

ほぼ同時期、政権側は、それを彼のルセフ氏への報復目的によるもの、プロセスを進める法的必然性が欠如している、との理由で、上院本会議票決を止めるよう最高裁に訴えていたものの、こちらは上院での票決を前に、拒否された。 

紆余曲折を経たルセフ停職には、大統領解任のための国民投票に直面しているベネズエラのマドゥーロ政権を始めとする「米州ボリーバル同盟(ALBA)」諸国などから、テメル政権不承認を含む強い反発が出ている。

南米諸国連合(Unasur)のサンペール事務局長の不当、とのコメントも伝わる。米州全体としては、戸惑いがあるのではなかろうか。4年前のパラグアイのように、Unasurやメルコスルで資格停止にする、と言うのは、世界第六位の経済大国、ラ米随一の国力を持つブラジルには、非現実的だろう。

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2016年4月29日 (金)

アルゼンチン債務問題の決着

これまた旧聞だが、422日、アルゼンチン財務金融省は、「訴訟を起こしていたファンド(los fondos litigantes)」に対し93億ドルを支払ったが、これからの支払分を入れると、最終的には105億ドル、これは額面の40%の割引に相当する、と発表した。

昨年12月に発足したマクリ政権は、財務金融省を通じ、2005年、10年のリスケに応じなかった、ホールドアウトと呼ばれる債権者との交渉に臨んだ。欧米メディアがそれまで報じて来たところでは、

1) 今年の2月早々、5万と言われるイタリア債権者と、総額25億ドルを13.5億ドルに減額しての支払を纏め、次に米国勢との交渉に移り、総額90億ドルに対し65億ドルのオファーを行った。

2) 229日、ホールドアウトとの46.5億ドルの支払い協定を発表、額面の75%。協定発効にはアルゼンチン議会承認が必要

3) 331日、議会承認が実現

4) 413日、2005年、10年のリスケに応じた債権者への支払禁止命令(実務上の担い手である民間銀行に対するもの)解除

5) 419日、アルゼンチン国債165億ドル発行

と言う経緯を辿っている。 

上記3)については、少数与党であるにも拘わらず、実現した。上記4)は、20147月のニューヨーク地裁のグリーサ判事の命令によるもので、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/07/post-0f28.htmlなどでお伝えした。これでアルゼンチンはいわゆる「テクニカルデフォルト」に陥った。元本計13.3億ドルの債権全額プラス金利の支払いを求める2社(NML Capital Ltd及びAurelius Capital Management)の請求全額を支払うまで、リスケに応じた債権者への返済履行禁止、と言う判決へのアルゼンチンの不服従への制裁、とした。アルゼンチン側は、リスケ時に約束されたRUFO条項(リスケに応じない債権者に、より良い条件は付けない)、として判決は受け難い、と主張していた。

一主権国家をデフォルトに陥れる一地裁判事の命令には、米政府も戸惑いがあったようだが、その時には司法の独立が壁となって、何の手も打たなかった。米国に好意的ではないフェルナンデス政権下だったからか。今年323日、米財務省から当該司法当局にその解除要請が為されている。その翌324日から2日間の、米国の現職大統領として19年ぶりとなるオバマ大統領のアルゼンチン訪問に合わせたものだろう。訪問は、自由主義経済を掲げるマクリ新政権下、同国との関係改善を目的としたものだった。財務省は22日のホールドアウトへの支払履行、及び19日の国債発行が、マクリ政権の政策変更の証明、と評価した。 

ともあれ、国債発行はアルゼンチンの国際金融市場復帰を強烈に印象付けた。13.3億ドルではない、元本ベースでは計算上170億ドル(割引後105億ドル)のホールアウト債権の一括支払のインパクトが、それほど大きかった、と言えよう。プラッツガイ財務金融相によれば、購入者の3分の2が米国の投資家、発行額の4倍もの需要があった由だ。

165億ドルは、満期ごとに351030年ものの4種類となっている。利率は、6.25%(3年もの)~7.62%(30年もの)で、私には高いのかどうか、判断がつかない。ホールドアウトへの支払原資として、またインフラ事業に充当される。前者が105億ドルなら、後者は60億ドル、と計算できる。なお、このニュースを伝えるロイターは、同時にアルゼンチン中銀による外貨準備高も伝えた。国債発行で67億ドル増え、358億ドル、と言う。冒頭で述べたようにホールドアウトに93億ドル支払ったら、国債発行額とのバランスは72億ドルだから、銀行手数料などを考えれば、増加額はこんなものか、とも思う。 

マクリ政権下、公共料金引き上げ、失業増大に加え、通貨ペソの二重相場制廃止でインフレが加速し、4月始めの世論調査では彼の支持率は就任当初の77%から50%にまで下落した。この程度なら、ラ米の最高指導者の中では極めて高い部類にはいろうが、今国際的に騒がれている「パナマ文書」に名前が出た。だが、欧米メディアは彼に好意的だ。

アルゼンチンが国際金融市場に復帰できたことは喜ばしい。マクリ政権の政策変更の中では、食糧の輸出税の撤廃乃至引き下げも良かった。政権の思想的立場がどうあれ、資本主義経済に通貨の二重相場制は本来あってはなるまい。それでもメディアの、或いは米国のマクリ政権への高い評価には、違和感を覚える。

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2016年4月25日 (月)

第七回キューバ共産党大会とフィデルの最後の演説

196510月に創設されたキューバ共産党(PCC)は、10周年の7512月に第一回党大会を開催、1959年の革命後、初めての社会主義憲法の草案を承認し、いわゆるソ連型共産主義国家への第一歩を踏み出した。それから40年間で、僅か7回しか開催されていない。共産党一党支配下の国家運営の基本方針は、党が決める。一つの大会と次の大会までの党の運営は、大会に出席できる約1,000名により、中央委員会に委ねられる。その最高幹部組織として政治局がある。

聊か旧聞に属するが、その第七回目が去る416日から19日まで開催され、142名の中央委員と、17名の政治局員を選出して閉会した。84歳のラウル・カストロ国家評議会議長が第一書記に、85歳のマチャドベントゥーラ同副議長が第二書記に連続再選された。この二人を除く15名の政治局員では、56歳のディアスカネル国家評議会第一副議長を含む10名も留任、5名の新任はあるが、欠員と増員が理由だ。ラウル氏は今大会で、新たに党要職に就く者の年齢制限を提案、中央委員は60歳、政治局員は70歳とした。また、革命世代からの世代交代の必要性を強調した。中央委員の新任が55名、と言うから、幾分進んだのかも知れない。 

前大会http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/post-7b89.htmlと大きく異なるキューバの状況は、何と言っても昨年の7月に米国と国交を回復し、今年の32023日に、現職米大統領としては実に88年ぶりにオバマ大統領を迎えた、世界が注目した対米関係の変化だろう。オバマ氏はラウル氏との共同記者会見で、複数政党制や民選大統領制について述べ、途中、ラウル氏が通訳装置を外す場面を含め、国営テレビで全国中継された。さらに翌日、やはり全国生中継する国営テレビを前に、堂々と民主主義の尊さをアピールした。その6日後、ラウル氏の兄、89歳のフィデル氏が、国営メディアを通じ、厳しく批判している。フィデル氏はさらにその10日後、9ヶ月ぶりに公の場に姿を現した。革命がもたらした成果を語りかける映像が、やはり国営テレビで流されている。

ラウル氏は、党大会を、第一書記への二度目の選出の意味を、自分の主たるミッションがキューバ社会主義を守り、保全し、完成に向かい続けることであり、資本主義回帰を決して許さない、として締めた。その場に兄のフィデル氏も姿を見せ、10分間、演説を行ったことが、日本でも大きく報じられた。19614月の、米国を後ろ盾とする亡命キューバ人によるピッグズ湾事件以降の社会主義国家への歩み、この間根付いたキューバの共産主義思想を手短に語り、今年90歳になる自らの年齢を前面に出して、革命世代も不死身ではない、だが、思想は残る、ラ米、世界に、キューバの勝利を伝えていかねばならない、と語っていたようだ。演説後半はネットの動画で見たが、「終わり(Fin)」という言葉で演説が終わると、並んで隣に居たラウル氏が労わるようにフィデル氏の肩に手をかけ、会場の出席者は全員が立ち上がり拍手し、一部は涙していたのが印象的だった。

ともあれ、昨年1月、9月及び今年の3月、オバマ大統領の訪問前に、米国の対キューバ制裁緩和措置を受けながら、キューバの統治機構は不変、と、強調された党大会だった。フィデル氏だけでなく、ラウル氏が世代間交代に敢えて触れたのは目新しい。 

個人的な話で恐縮だが、私が初めてフィデル氏の本格的な演説に接したのは、19767月の革命勃発記念日だった。1953726日、26歳の若きフィデルが仲間とサンティアゴデクーバ市にあるモンカダ兵営を襲撃したのをキューバ革命の始まりとして、この国では毎年、大々的に祝っている。滞在中のホテルのテレビで見た。50歳になる3週間前だ。記憶は定かではないが4時間ほど、時折経済数値などを確かめる他は原稿も見ずに、ぶっ通して話し続けた。その後も何度か、やはりテレビで見る機会はあった。最後は、確か1993年だった、と思う。彼の年齢は67歳、彼独特の高い声に、張りがあった。ソ連崩壊から2年、石油調達に苦しみ8時間毎の計画停電の最中にあり、社会主義体制下の個人経営の導入、国民のドル保持の解禁などで経済の活性化に取り組んでいた。

私個人は、それから約四半世紀、彼の演説に接する機会は無かった。彼の演説に、現実の時空の厳しい流れを痛感する。体力のみならず、声の衰えを先ず感じた。次に、ずっと原稿を見ていた。以前の長い演説とは全く異なる点だ。以前は、現状分析を踏まえた具体的な将来展望を語っていたが、今回はどうだったろう。

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2016年4月20日 (水)

オリンピックを間近にして-ブラジル

417日の下院(定数513議席)本会議でのルセフ大統領弾劾の模様の一部を、NHKのニュースで見た。議員一人ひとりが声を張り上げ、弾劾プロセスへの賛否を表明する。欠席者を除く511名の内、ルセフ解任を睨む弾劾に、367名が賛成、と叫んだ。

大統領に対する弾劾手続きは、下院で始まる。先ず特別委員会を組成し、ここで弾劾すべき、との結論が出れば、下院本会議で審議し、票決を行い、三分の二の賛成を得ると、上院に付託される。 

http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2014/11/post-9981.htmlを参照願いたいが、2014年総選挙では、総議席513の下院で、議席を確保した政党で政権与党を構成するルセフ陣営「人民の力」の、彼女が帰属する「労働者党」(以下PT)を始めとする9党で、303議席を占めた。全体の59%だ。今回の弾劾プロセスに反対票を投じたのが137名だから、その落差に唖然とする。

弾劾手続きのプロセスを強行したのは、クーニャ下院議長だが、彼は陣営の「ブラジル民主運動党」(以下PMDB)に属する。下院でPTと議席数の一、二位を争う。彼がプロセスを強行した時点で、同党はまだ連立離脱を否定していた。だが3月に離脱した。これに「進歩党(PP)」、「社会民主党(PSD)」なども呼応した。この3党だけで、140議席強だ。

ブラジルの下院議員は、州や連邦特別区の単位で、比例代表制で選出される。無記名ではなく、一人ひとりが壇上で賛否を表明する投票に、党の決定から逸脱した意見表明は、難しかろう。 

2014年の決選投票で、得票率で51.6%を挙げたルセフ氏は、151月に第二期目に入って間もなく、反ルセフ国民運動に見舞われた。3月以降、彼女の支持率は10%内外で推移している。不思議な国民、と言うのが私の率直な感想だ。だがそれは、不況への不満と、国営石油会社Petrobrasに纏わる汚職事件への反発によるもので、特に後者は、多くの政治家が捜査を受ける中で、彼女自身は対象になっていない。それでも、彼女にはPetrobrasの理事会議長を務めた経歴がある。国民の多くに、彼女が汚職に無関係とは言えない、と思われても頷けよう。

彼女への弾劾理由は、201415年財政の不当操作への関与、であり、歳入不足を経済開発銀行(BNDES)など国営銀行に肩代わりさせ、人気取り政策を進め、財政赤字を低く見せた。これは憲法上大統領罷免に繋げ得る「責任罪」、とする。だから、上記の国民運動とは一見、無関係だ。ルセフ陣営は、かかる財政手法は歴代の大統領も講じており、とってつけたような理由で民選大統領追放を強行するのは不正義であり、クーデター、と叫ぶ。国民の6割が弾劾賛成、とのアンケート調査があるようだが、この理由によって、自らが選出した大統領を罷免することに賛成か、と訊かれれば、どうなるだろうか。 

続くプロセスを委託された上院は、20日ほどをかけて、特別委員会での審議、本会議での採決へと進む。単純過半数で弾劾の裁判(juicio)実施が裁決されれば、上院内に法廷が置かれ、最大180日間かけて審議が行われ、その間、ルセフ氏は公職から離れ、PMDBの党首である76歳のテメル副大統領が大統領職を代行する。法廷では、彼女の側の弁明や意見陳述なども認められる。彼女の前任者で国際的に知名度も高くカリスマ性に満ちたルラ氏が招請を勝ち取った、南米で初めてとなる、ブラジル人の誇りとして記憶に残るだろう歴史的なイベント、オリンピックの開会宣言は、彼女にはできなくなるが、テメル氏が代わりを務めるのだろうか。

カリェイロ上院議長は、憲法を尊重し、彼女の十分な弁護時間を保証する、と言っている旨が伝わる。彼もPMDBに属する。上院法廷での180日の審議の結果、大統領罷免が決まると、同党を率いるテメル副大統領が正式に臨時大統領となり、2018年末の任期残を務めることになる。 

上述の反ルセフ国民運動の理由の一つ、Petrobras汚職に関わったとして、昨年3月に検事総長から示された現職議員34名の中に、クーニャ下院議長とカリェイロ上院議員の名もある。特に前者は、具体的な関与、金額が贈賄側から証言されており(クーニャ氏は否定)、スイスの銀行口座も発覚し、昨年10月から下院内の倫理委員会で議長解任への動きが出た。ただ、大統領弾劾の動きの中で、今は止まっているようだ。 

それにしても、国際社会はこの動きをどう見ているのだろうか。

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2016年4月14日 (木)

ペルー総選挙

410日に行われたペルー大統領選については我が国でも大々的に報じられているが、「大衆勢力(Fuerza Popular、以下FP)」のケイコ・フジモリ候補(以下、ケイコ)が約40%の得票ながら、二位の「変革へのペルー人(Peruanos por el Kambio、以下PPK)」のペドロ・パブロ・クチンスキー候補(以下、クチンスキー)との決選投票に進むことになった。FPPPKも中道右派、と区分されている。 

クチンスキー候補の得票率は21%でも、欧米系のメディアは、決選投票ではケイコ候補を上回る得票で、77歳の高齢(任期満了時は82歳)ながら、次期大統領になる、と期待しているようだ。

党名の略称PPKは、クチンスキー候補の氏名をイニシアルで示したものと同じ、洒落たネーミングだ。ユダヤ系ドイツ移民の父親が高名な医師で、彼の学業は、1961年に米国のプリンストン大学で経済学修士号を得る(ウィキペディアのスペイン語版による)まで、欧米が長かったようだ。世銀に入り、66年に帰国、ペルー中銀の管理職に就いたものの、689月のクーデター(私のホームページ内ペルーとチリの「革命」参照)を経て、69年に米国に亡命、そこでIMF、世銀などで活躍した(ウィキペディア英語版による)。80年、民政復帰を機に帰国、ベラウンデ・テリー政権(198085年)の鉱山エネルギー相を2年務めた後、米国に戻り、経済界で活躍した。2000年に帰国し、トレド政権(20012006年)で経済・財政相、及び首相を務めている。経済界からも期待される所以だ。

彼は2011年大統領選にも出馬、ケイコ氏に次ぐ第三位で決選投票には進めなかったが、得票率は18.5%、真偽のほどは私には不確かだが、決選投票で、経済政策が近いケイコ氏を支援した、と言われる。彼のその時の政党「大変革同盟」)は議会(総議席数130)で12議席を獲得した。 

ケイコ氏は、ご周知の通り、アルベルト・フジモリ元大統領(19902000年)の長女で、良きにつけ悪しきにつけ、彼のイメージが付き纏う。この点http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/04/post-2ac5.htmlでも採り上げた。2011年、35歳の時に臨んだ大統領選で、第一回目の得票率は23.6%で、第一位のウマラ現大統領は31.7%、8ポイント差だった。決選投票では48.5%の得票率で、ウマラ氏に3ポイント差で負けた。その直前、http://okifumi.cocolog-wbs.com/blog/2011/06/post-0c29.htmlに書いた。今回選挙では、第一位の彼女の得票率は第二位と約19ポイント差、これで逆転されるのだろうか。

彼女の演説する姿の一部をNHKなどで見たが、実に迫力に満ち、理路整然としている、と感じた。元大統領の娘ゆえに高い知名度、で彼女を見てはなるまい。英語版ウィキペディアによれば、199397年に米国留学、ボストン大学を卒業した。一方で19942000年、つまり19歳から、父親のファーストレディ役を務めている。200406年、コロンビア・ビジネススクールで修士課程、この間に米人男性と結婚し、2005年に彼と共に帰国した。同年11月、日本に亡命していた父親がペルーの隣国チリに移動、同国で拘留された時だ。翌2006年の総選挙で、彼女はフジモリ派勢力の「未来への同盟(AF)」の議員となっている。AF13議席を得た。彼女が大統領選に出馬した2011年総選挙では、その後継組織「2011年の力」の議席は37議席に伸びた。 

今回総選挙での議会の議席配分は、これを書いている段階では分からない。調査機関は、彼女のFPが過半数内外、と見ているようだ。従って、クチンスキー候補が逆転勝利を果たせば、少数与党になる。ウマラ現大統領の与党「ペルーの勝利同盟(Gana Peru)」が2011年選挙で獲得した議席は47、議会第一党ではあっても、やはり少数与党だった。だから、だと思いたいが、彼は、特に貧困層対策などの公約が殆ど果たせておらず、国民支持率は低い。クチンスキー氏の場合、そもそも第一回目投票では大きく引き離された第二位、PPKだけでは少数与党の程度は、ウマラ氏のそれとは比べられようもなかろう。

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2015年12月15日 (火)

マクリの挑戦-アルゼンチン

1210日、マクリ政権が発足した。私には、選挙戦では、訴えていた明確な政権公約はよく分からなかった。彼の「変革しよう(Cambiemos)」の政策の中身は、今も分からない。欧米メディアは彼を右派(Derechista)或いは、中道右派(Centro-derechista)の、親市場主義派(Familiar almercado)として、これまで12年間政権を担った「勝利戦線(FpV)」の中道左派(Centro-izquierdista)、取り分けキルチネル夫妻の国家による過剰な経済介入の政治姿勢(Kirchinerismo)と対比してきた。彼が有力企業の経営者一族で自らも経営に携わった、自由主義経済を掲げる政党「共和国提言(PRO)」を自ら立ち上げた、ブエノスアイレス市長として輝かしい実績を持つ点にも好感を持っているようだ。

彼の大統領就任式には、南米9ヵ国中、彼からメルコスル資格停止すべし、と言われた、議会選大敗で政治危機にあるベネズエラのマドゥーロ大統領を除く8ヵ国の大統領が出席した。政治姿勢で色分けすれば、左派が2ヵ国、中道左派が4ヵ国、右派が2ヵ国となる。彼は、誰とでも親しく接した。下院で弾劾プロセスを受けようとしているブラジルのルセフ大統領も駆け付けた。マクリ就任式欠席を宣言したフェルナンデス前大統領の9日の退任行事に参加した左派のモラレス・ボリビア大統領も出席した。 

国内的には、マクリ氏は、就任翌日に大統領選を闘ったシオリ(FpV)、マッサ(「刷新戦線(FR)」)他2名を大統領府に招き、個別会談を行い、政治・財政改革、貧困や麻薬との闘い、と言った共通の優先課題について協力を要請した。12日には23州の大半を占めるFpVの知事らとの会合を持った。よく彼は選挙戦でも、当時のフェルナンデス大統領を対立的(自分の意見を押し付ける)、と評し、自らは和解的(人の意見に耳を傾ける)、と言っていた由だ。議会では少数与党となるCambiemosの政権では、いずれにせよ野党の協力は必須であり、彼自身の政治信条が市場主義、新自由主義だとしても、コンセンサス追及は必要だ。

彼は選挙戦の間も、前FpV政権が導入した社会政策の中で、低所得家族の子どものための補助金(AUH)は続ける、と断言、YPF国有化を見直す積りはない、と言っていた。一方で、早速手をつける、としていた外国為替統制撤廃は、ペソ大幅下落でインフレを昂進しかねない、として、十分な外貨準備が確保できるまで、として先延ばしされている。常識的判断だろう。彼は、FpV政権の失政、と避難の的になった年率20%台と言われるインフレの退治も約束していた。矛盾してしまう。外貨準備は250億ドルに若干届かない水準で、専門家は、実態はこれより遥かに低い、と言っているようだ。政府機関が出してきた経済指標の信頼度が低いので、先ずは実態把握が必要、とも言う。その上で、どこの国でもやっているように、公的数値を正しく公開して欲しい。

彼が選挙戦で提示した公約には、従来掛かっていた輸出税について、小麦、トウモロコシは廃止、大豆は引き下げ、と言うものがあり、前FpV政権と対立していた農業経営界から歓迎されたが、これは対立候補のシオリ氏も唱えていた。何故輸出税と言うものがあるのか、私は理解できていない。実現すれば、輸出量増大に繋がろう。税収は減るが、外貨収入増に繋がる。一方で、輸入規制の緩和も公約に掲げた。外貨流出に繋がる。だが輸入規制は国内産業保護策でもある。前FpV政権の功績の一つ、高い雇用率を損ねるリスクは大きい。だが、メルコスル域内ですら行われる輸入規制は批判されてきた。解決すべき課題には違いない。この点、競争力向上で対応して欲しい。 

欧米メディアや経済界では、投資インフラの向上と外資誘致、自由な資金移動、GDP5%と言われる財政赤字の縮小、などへの迅速な決断がとられるとの期待が高いようだ。FpVは経済政策への介入を嫌い、借入金の期限前返済までしてIMFと決別した。その上で、実質的な債務大幅削減のリスケを債権者に押し付け、結果として国際金融市場へのアクセス不能に陥った。リスケを拒んだ米国の一部債権者(いわゆるハゲタカファンド)が原告として訴え、ニューヨークの裁判所判事がこれを認め、アルゼンチンがリスケ債務支払履行することすら妨害されている。外国投資家には見放された状態だ。

マクリ氏は、原告との話し合いに応じ、「ハゲタカファンド」問題解決に取り組み始めた。加えて、外国銀行からの借り入れ交渉にも取り組む。これまで、経済政策に加え、対外債務や国際金融機関への対応を任されてきた「経済省」は大蔵・金融省になり、これが労働・社会保障省、名称を変更した生産、農産業両省、新設のエネルギー、運輸両省、と共に組成する経済チームを率いる体制に変わった。経済関連機関の機構改革は選挙戦でも唱えており、国家の経済政策は協議制に変わる。同時に、対外的にも、協議を通じての解決を図っていくようだ。

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